>  >  > 実話だった「さるかに合戦」!しゃべる馬糞は!?
深堀り民俗学

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画像は、『猿蟹合戦 (新・講談社の絵本)』(講談社)

 9月はさまざまな秋の食材が出てくるが、「食欲の秋」とはよく言ったもので、この季節は、ダイエットをしている人にとっては辛い時期でもある。

 そして秋の食べ物で代表的なものが「柿」である。有名な「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」も、「柿=秋の話」「鐘がなる=夕方の寺の鐘の音」ということが想像つく。たった17文字で季節と情景が浮かんでくるのは、日本人特有の感覚である。

 その「柿」が題材になった童話で最も有名なものが「さるかに合戦」である。

 さるかに合戦について話を知らない人はいないと思うが、地方によって少し違うようなので、一応代表的なものを記載してみるとしよう。

【さるかに合戦のストーリー】

・ポイント1 猿が蟹を騙して殺す

 あるところに蟹の親子がいて、おにぎりを持っていた。おなかをすかせた猿が、食べ終わった柿の種とおにぎりを交換すると持ちかけ、蟹の親はそれを受け入れて柿を育てた。柿の実がなったころ、猿が現れて、熟れた柿をほとんど食べ尽くし、そして青い柿を蟹の親子に投げつけて蟹の親を殺してしまう。

・ポイント2 親を殺された蟹の子どもが猿をあだ討ちする

 生き残った蟹の子は、あだ討ちのために地方を回り「栗」「蜂」「馬糞」「臼」を仲間にする。ある日、猿が柿の木の前を通りかかったとき、蟹の子と示し合わせた「蜂」が猿を攻撃する。猿は家の中に逃げ火鉢の火で「蜂」を追い返す。そうすると、今度は火で真っ赤になった「栗」がはじけて猿のお尻に当たる。猿のお尻は毛が焼けてしまい、また赤くなってしまった。驚いた猿は、家を飛び出すと、その出口にいた「馬糞」で足を滑らせてしまい、転んだところに「臼」が屋根から飛び降りて猿を殺す。これであだ討ちが完了し、めでたしめでたし。

 ……という話である。

 地方によって「栗」がいなかったり、「馬糞」の代わりに「戸板」や「竿」が猿を転ばせる話もある。また、「臼」ではなく「昆布」が猿に巻きついて海中に引きずり込んで溺れさせてしまう話もあるようだ。

 さて、今回は、「鶴の恩返し」のように地方によって話が違うということが主題ではない。

■モノまで擬人化する日本昔話の謎

 そもそも、日本の童話は、「動物」が人間と話をすることが少なくない。これは、世界各国の童話すべてにいえることだが、イソップ物語の「アリとキリギリス」も虫が話しているし、同じあだ討ち(仕返し)の物語である「ブレーメンの音楽隊」では、鶏やヤギが協力する話になっている。

 しかし、「さるかに合戦」のように、人間が作った道具である「臼」や、「栗」といった植物が会話をするのは珍しい。「馬糞」に至っては、まさに「糞」である。「生き物でないもの」だけでなく、“汚い”と認識されているものが会話し、主体的に動くのだから驚きだ。動きといえば、「臼」は屋根の上から飛び降りて猿をつぶすが、そのためには、「臼」が自分で屋根の上に上がらなければならない。蟹が臼を持ち上げられる力があるのであれば、そもそもサルに柿を取られるはずがないからである。

 要するに、日本人の観念の中には、「無機物」や「道具」も主体的に魂を持っているという観念があったということになる。これが、現代のオカルトに発展すると「人形の髪がひとりで伸びる」とか「指輪に込められた怨念が不幸を引き寄せる」といった都市伝説につながるのである。

■でもどうして、馬糞がしゃべるのか?

 それでも「人形」は人の形をしているもので、人の念が入りやすいというのは想像がつく。また、「石」は、「墓石」「賽の河原(三途の川)」でも表現されるように、土地と人を結ぶ形のあるものとして存在するので、人の念が入りやすいとされているし、合点がいく。しかし、さすがに、「馬糞」は違うのではないか。

 実は、これは昔「馬糞」が稲を作るための貴重な肥料であり、人間が生きるための重要な「道具」であったことに起因している。

 そして、「道具」にもすべて神が存在し、その道具の本来の使い方、そして役割を果たすことが、“神の役目”として存在するのだ。逆に、昔話の中では、「役割の通りに使われなかった道具が妖怪になる」例もたくさんある。「ゲゲゲの鬼太郎」では人間のために戦う「一反木綿」も九州地方でその役割をまっとうできなかった木綿の布が、祟り神となって現れた妖怪であるとして伝えられているのである。

 このように考えると、「さるかに合戦」は、単純に「親を殺された場合に、子どもはあだ討ちをする。そのときに多くの仲間を増やせ」というような教訓譚だけでなく、「臼や馬糞であっても、道具を粗末にしなければ、自分が本当に困ったときに助けてくれる」というような、「道具を大事にしなさい」という教訓話にもなっているのである。

 では、この話はどこで生まれ、この多くの人に助けられたのは、一体誰なのか?

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