>  >  > ロストフの連続殺人鬼「日本人が私の脳を買い取りたがってる」

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※画像:YouTubeより

 1982年10月、ソビエトの特別捜査班は連続殺人犯を捕まえるため、ロストフ州一帯を調べていた。捜査は4カ月前、鉄道軌道の側にある林で13歳の少女の遺体が発見されたことがきっかけで開始された。

 少女の遺体は繰り返し刺された傷によりズタズタで、体の一部が切り取られていたり、両目がくり抜かれていた。ロシアには「人間が最期に見た物は眼球に焼きつき残る」という言い伝えがあるためだと警察はにらんだ。この直後、近くで同じように殺害された2人の少女の遺体が次々と発見された。3人とも性的暴行を受けた跡があったが、警察は「悪魔崇拝者」「臓器売買業者」の仕業ではないかと推測した。しかし、その可能性はすぐに消え、捜査は行き詰った。当時ソビエトでは、「連続殺人は資本主義の弊害によるもの。共産主義であるわが国にはこの種の犯罪は存在しない」と定義していたため、警察は連続殺人事件として、捜査できなかったからである。

 捜査がもたついている間も犠牲者は増え続け、1984年には、同一犯によると見られる被害者は23人にのぼった。その多くがロストフ州に住む少女少年や若い女性で、遺体には無数の傷があり、乳房など体の一部がえぐりとられていた。人肉はナイフでえぐりとったのではなく、歯で噛み切ったもので、ベテランの捜査班も目を背けるほど無残なものだった。被害者の顔は恐怖で歪んでいたため、正視できない警官がいたとも伝えられている。

 遺体が発見された近くには必ずといってよいほど駅やバス停があったため、犯人が頻繁に移動しているだろうと、捜査班は確信していた。しかし、政府の意向もあってか、この事件が公表されることはなかったが、地元の人々の間で噂は広まることは止められず、焦った警察は不審に見える者を片っ端から逮捕していった。だが、真犯人にたどり着くことはできなかった。

 最初に起きた事件から8年後、警察は大きな駅に制服警官を、田舎の駅に私服警官や諜報活動員を配置し、田舎の駅近くで犯人が動くのを待った。そして、1990年11月6日、私服警官が森の中から出てくる不審な男を発見。顎に血しぶきがついており、指を怪我していたその男に職務質問したところ、孫もいる54歳のアンドレイ・チカチーロであることが分かった。逮捕できる証拠がなかったが、その24時間後、この森の中から残虐遺体が発見され、警察はアンドレイをマークするようになった。そして、同月20日、ロストフの市場でビール片手に少年を誘っていたアンドレイを逮捕した。

 30人以上殺害した罪がかけられたアンドレイだったが、目撃者や十分な証拠がなかったため、警察は自白させようと躍起になった。10日以内に起訴できなければ釈放しなければならなかったからだ。

 そこで警察は著名な精神科医アレクサンドラ・ブカノスキーの助けを求めた。アレクサンドラは警察とは対照的な穏やかな口調で、「私は敵でも味方でもない」と中立的な立場だと強調し、アンドレイの心を開かせた。そして、アンドレイは自供を始めた。12年もの長い間、多くの女、子どもに性的暴行を加え残虐殺害した、世界一ともされるサディスティックな殺人鬼が、その手口をこと細かく明かしたのである。

 KGB施設の中で、ダミー人形を使いナイフを持ちながら再現する彼は、生き生きしており、得意げだった。警察が把握していた36人のほかにも、17人を殺害したことをほのめかし、どう性的に痛めつけたかについても細かく説明した。1990年12月7日、警察はアンドレイが「少年を殺して埋めた」と証言したシャフティの小さな村に彼を連れて行った。遺体が掘り返される様子をアンドレイは動揺することなく冷静に眺め、その様子を撮影したビデオはソビエト中に放送され、人々を震撼させた。

 妻子持ちで孫までいる、ごくごく平凡な初老の男、アンドレイは、一体、どのようにして、冷酷極まりない殺人鬼になったのだろうか。

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