>  > 写真家・山中学が焼き付ける「生と死の境界線」『羯諦』

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羯諦

【日刊サイゾーより】(2009年4月21日初出)

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表題ともなっているシリーズ「羯諦」より抜粋

 ホームレス、朽ちかけた動物の死体、老婆や身体障害者のヌード、そして、生まれる事がなかった水子たち......。直視することもはばかられるような物たちを、被写体として収めた写真集『羯諦(ぎゃあてい)』(ポット出版)。

 数件の業者から印刷を拒否されたというこの写真集。そこに描かれているのは、25年にも及ぶ製作期間の中で生まれた、仏教に根ざした深い死生観による作品たちだ。果たして、どのような思いを持ちながらこの作品は製作されたのだろうか? 写真家・山中学さんに話を聞いた。

──山中さんの写真は仏教観に影響されているということですが、幼い頃から仏教に深く関わっていたんでしょうか。

「どこのお寺に属していたっていうことはないですね。キリストもアラーもいなかった。ただ、たまたま家の周りにお寺があって、そこで行事があったり、葬式も家で執り行なっていたのを見ていたし、死っていうのが身近にあったんです」

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シリーズ「阿羅漢」より抜粋

■山中学が考える美しさとは

──写真と仏教を結びつけようと思ったことには、何かきっかけがあったのでしょうか?

「いちばん始めは、ホームレスを撮った『阿羅漢(あらかん)』シリーズ。尼崎から東京に出てきて初めてホームレスを見たんだけど、『臭いなー、何してんやろ』って思ってたんです。そんなときに美術館で羅漢図を観て『あれ、これ似てるな』とひらめいた。生きた羅漢図をつくることができるんじゃないかって。そこから仏教と写真をくっつけようと思ったんです」

──この『羯諦』というタイトルには、どんな意味が込められているんでしょうか?

「般若心経に出てくる言葉なんですけど、簡単に言うと『天寿を全うしたな、おめでとうさん』っていうおまじないみたいなもので、『羯諦』という言葉自体に意味はない。だから翻訳もできない。でもこの言葉に教えはすべて詰まっているんですよね」

──おばあちゃんたちのヌードを撮った『羯諦』シリーズを制作した意図を教えてください。

「寿命というか、生きるというか、人間の、最期の肉体を撮りたいと思ったんです」

──それはヌードでなければならなかったんでしょうか?

「ヌードにしたのは、普遍的なものにしたかったから。ネックレスとか眼鏡をしてたら時代が見えるけど、ツルツルに剥いてしまえば時代が見えない。そのものだけが見えるんですよ。ナイスバディの人を基準に選んで40~50人くらい撮影しましたね」

──ナイスバディ......。

「皺やおっぱいの垂れ方が、年寄りでも微妙に違う。男性と違って脂肪が多い身体だったのが、年とってやつれて、カサカサになった最期の姿としてのナイスバディですよね」

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シリーズ「浄土」より抜粋

──どの作品も、ただスキャンダリズムとして撮影しているわけではなく、しっかりと美しさに基づいて撮られていると感じます。

「『醜の美』という言葉があるけど、醜くても綺麗な物ってある。それを仏教の言葉とくっつけることで引き出せたらいいなと思う。例えば『浄土』シリーズでは、身体障害者を被写体にしているけど、それに『浄土』というタイトルをつけることによって、健常者よりも身体障害者の方が綺麗になる瞬間があるんじゃないかって。醜だけど、心が引き寄せられてしまうような」

■人間と物の境界線を撮る

──撮影に際して、倫理的な葛藤はなかったんでしょうか?

「いや、誤解を恐れずに言えばね、やろうと思った時から被写体は"物質"としてしか見てないから」

──水子のシリーズである「無空 茫々然」なんかは、どうして始めようと思ったんでしょうか?

「一体、どこから人間になるんだろうと。受精して成長する段階で、人間として認められるラインを見たいと思った。逆に動物の死体が朽ちていく様を撮った『不浄観』シリーズでは、どこからが死なのか、心臓が止まった時なのか、脳が死んだ時なのか、焼き場に行って煙になった時なのか。そのデッドラインはどこだっていうのを考えていた時に、動物の死体を撮ろうと思ったんです」

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シリーズ「無空 茫々然」より抜粋

──ここに写っている胎児を、山中さんは人間として考えているんでしょうか?

「人の始めですよね。胎芽っていうんだけど、母体保護法だと3カ月が人と物の違いとして引かれている。堕胎する時でも、それ未満だと医療ゴミで、それを過ぎると水子になる」

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山中氏

■日本にはこの作品を受け入れる土壌がない

──山中さんは日本ではなくニューヨークで作品を発表していますが、それは何か理由があるんでしょうか?

「それは、マーケットが違うからですよね。写真のマーケットが日本にはないから、作家として生きていけないのよ。あと、日本では発表できないっていうのもある。猥褻じゃないか、とか」

──日本では決して受け入れられやすい作品ではないですよね。

「僕もそう思ってる。ダメじゃないんだけど、日本にはこういう作品を受け入れる土壌がないですね」

──「こういう写真は見たくない」という人も多いんじゃないかと思います。そんな人に対して思うことは?

「そういう人は、見なければいいと思いますよね。すごく嫌いな人とすごく好きな人、両極いる方がいいと思う」

──今後展覧会の予定は?

「来年になると思います。今ニューヨークで動いてますね」

──日本では行わないんですか?

「いやあ、できないでしょう(笑)」
(取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])

●やまなか・まなぶ
1959年、兵庫県生まれ。1989年、東京で初めての個展「阿羅漢」を開く。現在は、東京に住みながら、ニューヨークのギャラリーを通して作品を発信し続けている。
http://www.ask.ne.jp/~yamanaka/

羯諦─山中学 写真

羯諦─山中学 写真

貧困、老い、病、死......。人が忌避するものの中にある「仏性」を写す。海外で高い評価を受ける山中学初の商業写真集。25年にわたって取り続けた6シリーズ108点を収録する。

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