>  >  > 【ココ掘れ埋蔵金】練馬区に眠る金銀財宝!?
【聖橋乱丸の陰謀社会学】

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 昨今近現代の陰謀ばかりを紹介してきたが、今回は少し趣向を変えて日本の古い怨霊伝説が流布され、その伝説がどのような陰謀になったのか、そしてなぜ伝説や陰謀の副産物として「埋蔵金」があるのかということを話してみよう。

 まず、東京都内で有名なのが「照姫の怨霊」にまつわる「豊島家の財宝」だろう。伝説では豊島家当主・泰経(やすつね)が、代々伝わる金銀財宝を東京都練馬区・三宝寺池(さんぽうじ)に沈めたと伝わっている。しかも、この財宝はいまだ池の底に眠ったままの可能性があるのだ!


■豊島家VS太田道灌 財宝にまつわるヒストリー

 豊島家とは、源頼朝が挙兵した際にこれに呼応し、鎌倉幕府の有力御家人となった豪族である。石神井川と三宝寺池を起点に延びる谷との間に挟まれた台地上に位置する石神井城を居城とし、関東で地位を築いていた。しかし室町時代後期、関東管領であった山内上杉顕定(やまのうちうえすぎあきさだ)の有力家臣である長尾家が、上杉家に弓を引く「長尾景春の乱」が勃発、豊島家も景春に呼応して上杉氏に反旗を翻した。

 この豊島家に対立したのが当時関東で兵法の天才といわれた太田道灌(おおたどうかん)である。太田道灌は数に勝る豊島氏と沼袋・江古田の合戦で対峙し、巧みな用兵で豊島氏を打ち破った。当時豊島氏の当主であった豊島泰経は一度、石神井城に入り、その後夜陰に紛れて逃亡。残された女子どもは城とともに討ち死にしたが、泰経は石神井城落城の時には死なず、脱出して翌文明10年(1478年)に平塚城で再挙している。


■落城した豊島家、城に隠されていた財宝は……!?

 伝説では、逃げ出した豊島泰経は落城の前日に三宝寺池に向かい、金銀財宝と先祖伝来の宝「金の乗鞍(馬の上に乗せる鞍)」を雪のごとき白馬に置いたまま池に沈めたという。この際に照姫という美しい娘も白馬とともに引き込まれるように入ってゆき、白馬、照姫、そして豊島家伝来の金銀財宝や宝がいずれも池の中から出てくることはなかった。

 文武の名将・道灌はこれを憐れみ、照姫の亡骸を弔って塚を築いた。この塚はいつしか姫塚と呼ばれ、そのそばに立つ老松に登ると池の底に金の鞍が燦然と輝いているのが見えるという。

 なお、この伝説の舞台となった東京都練馬区の石神井城跡、石神井公園では昭和63年(1988年)以来、三宝寺池に入水した照姫の悲劇をしのんで、毎年4月の第四週目の日曜日「照姫まつり」を開催している。

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