>  > 平成生まれの戦場カメラマン・吉田尚弘インタビュー

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戦場カメラマン

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撮影・新納翔

 高校生時代から難民支援NGOの契約カメラマンとなり、ビルマ難民を取材。若干22歳の今「平成生まれの戦場カメラマン」として、海外のスラムや紛争地にある「リアル」をテーマに撮影を続ける吉田尚弘氏。その若く・細い(とても戦場カメラマンには見えない!)体のどこからそんなエネルギーが沸くのか…、吉田氏を突き動かしているものは何なのか、お話しを伺った。


――まず、カメラマンになった経緯を教えてください。

吉田尚弘氏(以下、吉田) 僕は16歳の頃からバックパッカーをしていて、そのときに「ガイドブックを持たない」というスタンスをとっていたんです。手元に情報がないほうが、そこで暮らす人たちの日常的な部分に触れられると思って、現地の人に「どこか面白い場所はない?」とか、そういうことを聞きながら歩き回るようにしていたんですね。そうしたら、気づいたらいつも「スラム街」と呼ばれるところに入り込んでいて。

――16歳といったら高校生ですよね。学校は?

吉田 高校は、第一志望だった進学校に合格できたんですが、入学してすぐに燃え尽き症候群みたいになって、おまけに精神疾患にかかって、学校自体に行けなくなってしまったんです。そのときたまたま沢木耕太郎の『深夜特急』を読んで、「僕も旅をしよう」とタイのバンコクへ飛びました。当時は、自分には失うものは何もないし、自分が死んでも周りに影響はないと思っていたので。

――半ば自暴自棄になっていたおかげで、日本を飛び出すことができた。

吉田 でも、バンコクのスラムを歩いて、そこの住人たちと触れ合っているうちに、生まれて初めて生き甲斐を感じたんです。有り体にいえば、生きる希望とか勇気みたいなものをもらえたんですね。日本に帰ってきても「また彼らに会いたい」と、バイトしてお金を貯めて再訪したり、タイ以外の国にも行ったり。その一方で、僕は彼らから与えられるばかりでいいのかと疑問を抱くようになり、いま自分にできることを考えたとき、毎回小さいなデジカメをひとつ持って旅をしていてたんですけど、これで彼らの生活を記録できるんじゃないかと。それがカメラマンになろうと思ったきっかけです。


■戦場デビュー - 亡くなった祖父に夢の中で導かれて

――カメラは独学で?

吉田 最初は完全に独学ですね。そもそもカメラマンの仕事がどんなものかもわかっていなかったので、とりあえず安い一眼レフを買って。

――まずはカタチから。

吉田 そんなこんなでスラムを撮るカメラマンとして出発したわけですが、あるときテレビで戦場カメラマンの渡部陽一さんを見たんです。その当時、戦場を撮っている日本人がいるとは思ってもみなかったので、すごい衝撃を受けました。で、僕も16歳から海外に出て、スラムを撮影しながら現地の人たちと生活してきた実績というか自信があったので、もしかしたら自分にもその道に行けるんじゃないかと、とりあえず「戦場カメラマン 仕事」で検索して。

――わからないことはグーグル先生に聞いてみようと。

吉田 そうやって情報収集していく過程で、「戦場カメラマン」が渡辺さん以外にもいることを知り、連絡先を公開してらっしゃる方にはメールを出して教えを請おうとしたんです。

――ご自身のHPにたびたび「師匠」と呼ばれる方が出てきますが、その方と出会ったのもこのとき?

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吉田 はい。少しスピリチュアルな話になっちゃうんですけど、ちょうどその頃、僕の祖父が亡くなったんです。その祖父が、ある夜、夢に出てきまして。

――ほうほう。

吉田 夢の中で、僕がその師匠のサイトにメールを送ろうか迷っていると、祖父が「送りなさい」と。現実の僕も師匠のサイトをすでに見ていて、でも「どうせ無視されるだろう」と諦めていたんです。事実、他の方から返信が来たこともなかったですし。でも、祖父の言葉に従ってダメ元でメールを送ってみたら、ちゃんとお返事をくださって、実際にお会いすることができたんです。まあ、「師匠」というのは僕が勝手に呼んでいるだけなんですけど、2013年の3月に内戦中のシリアにも連れて行ってもらいましたし、本当にお世話になっている方です。

――戦場を、恐いとは思わなかったんですか?

吉田 恐さよりも、好奇心が勝りました。19歳のときにミャンマー難民の取材に行ったときも、ミャンマーとタイの国境を流れる河があるんですけど、そこでガイドの人に「お前はいまタイ側にいるけど、ミャンマー側のスナイパーに狙われてるからな」とか、「ここは先月海外のジャーナリストが射殺された現場だ」と言われて、すごい気が昂ったんです。いま思えば、それは命がけで取材するという行為に酔っていただけなんですが、同時に、そのような場所で生活している人たちがいるということを、世の中に伝えなきゃいけないと感じました。

――ミャンマー難民の人たちは、それまで見てきたスラムの人たちとは違いました?

吉田 環境の違いがあるだけで、根本的な部分はそう変わりません。たとえば、僧侶が毎日ボートで国境の河を行き来して野菜を運んでいたり、意外とのんきな光景もあって、それはそれで衝撃的でした。

――スナイパーも、さすがに僧侶は撃たない。

吉田 あるいは、難民が流出するということは、突破できる国境があるということでもあるんです。だからその緩いルートを行き来する人たちもいます。紛争地では食べ物も不足して物価も高騰するので、国内で買い物をするより国外に買い出しに行ったほうが安上がりなんですよ。これはまさに現場でしか見られないことです。そのときから、紛争地=危険、難民=悲惨ではなくて、その裏にある日常的なものに光を当てたい気持ちになりましたね。

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シリアの田舎町。迫撃砲が街近辺に撃ち込まれる中で、水タバコで休憩をする医療スタッフ達

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