>  > 芸術に“品格”は必要ですか? カラヴァッジョ ~愛と男と激情の人生~

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小暮満寿雄

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――エカキで作家・マンガ家、旅人でもある小暮満寿雄が世界のアートのコネタ・裏話をお届けする!

 バレーダンサーのルドルフ・ヌレエフ。写真家のロバート・メイプルソープ。ロックスター、クイーンのフレディ・マーキュリー。画家のアンディ・ウォーホルやキース・ヘリング……。これらの名前を聞いて、みなさま何が共通点かおわかりになるだろうか? そう、1980年代から90年代にかけてエイズによって命を落としたアーティストたちで、それも同性愛が原因でHIVに感染した人たちである。今ではエイズからの延命も可能になったが、当時は発症したら100%助からない病だったため、NYあたりでは「こいつも死んだ」「あいつも死んだ」という状態だったそうだ。

 なぜ同性愛者がエイズに感染しやすかったかといえば、理由は簡単。性行為の際、男性には入れる場所が肛門しかないので、当然アナルセックスに走る。だが本来は“出す”ところ。“入れるところ”ではないので裂傷が起る。傷がついたところに精液がかかるから、男女の性行為に比べて感染率が高くなるというわけだ。そこまでして…という感じがしないでもないが、実際アーティストには男女を問わず同性愛者が少なくない。

 さて、長い美術史の中には同性愛者だったと言われる芸術家が少なくない。代表的なところで言えば、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチの名が挙げられるが、ミケランジェロの場合は作品を見ればわかるように、筋肉モリモリ男性の趣味が反映されていてわかりやすい。そして、レオナルドの場合はもっと複雑。男性をモデルにモナリザを描いたという説があるが、それはおそらく違うだろう。また、レオナルドに関しては同性愛説が必ずしも確定と言えないところもある。

 そんな中、こちらの絵「バッカス」をご覧いただきたい。

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「バッカス」カラヴァッジョ

 そんな同性愛嗜好が明らかに絵に出ているのが、こちらのカラヴァッジョの作品だ。


■絵を見て辿る 天才・カラヴァッジョの「愛と男と激情の人生」

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オッタヴィオ・レオーニが描いたカラヴァッジョの肖像画(1621年頃)

【カラヴァッジョ 1571年9月28日~1610年7月18日 イタリア】

 カラヴァッジョほど「破天荒なアーティスト」のイメージを満足させ、なおかつ芸術家に「品行方正」や「善い人」であることを求める人にとって、眉をしかめさせる存在はいないだろう。今回は、そんな彼の作品と人生に迫ってみたい。

 上の作品のタイトルにもなった「バッカス」とはギリシャ神話に出て来る酒の神、快楽の神だが、見てのとおりモデルは当時の市井にいた誰かを描いたものだ。この作品は20世紀初頭、フィレンツェのウフィーツィ美術館の物置から発見されたものなので、記録がまったく残っていない。なので、どこの誰だったのかはまったくわかっていないが、はだけた上半身、モデルの表情、舐めるように描かれた上腕二頭筋は、明らかにカラヴァッジョの“おトモだち”だった誰かだろう。

 では、こちら「聖マタイの召命」をご覧いただきたい。

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「聖マタイの召命」

 この絵の、なんと美しく強烈、かつ神秘的なことだろう。

 この光と影のコントラストは、テネブリズム(暗闇主義)と呼ばれ、ネーデルランドのレンブラント。フランドルのリューベンス。スペインのベラスケスに多大な影響を与えた衝撃的な表現だったのだ。

 こんな精神性の高い作品を描いた人間が、賭場と酒場に入りびたり、ケンカ三昧、男三昧だったなんて信じられるだろうか? 映画『アマデウス』ではないが、才能とはまさに授かり物。英語で言う”GIFTED"だが、「どうしてこんなヤツ…」という人が素晴らしい仕事をすることがあるが、まさにカラヴァッジョほどそのことが当てはまるケースはないだろう。(ただし一般的にひどい人格の持ち主は、仕事もザツでいい加減なケースがほとんどだ)


■若かりし頃から「手に負えぬ」人物だった

 カラヴァッジョの本名はミケランジェロ・メリージ。ミラノ近郊のカラヴァッジョ村で生まれたため、現在もこの名で呼ばれている。16世紀の後半から17世紀初頭にかけて、イタリア絵画の世界に彗星のように現れて消えた画家である。

 13歳で地元の工房に入るも、工房の仲間と大ゲンカしてローマに渡ったそうで、当時のカラヴァッジョの生活は地元で身に付けた静物画を描きながら細々暮らしていたという。

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カラヴァッジョの描いた静物画「Canestra di frutta」

 当時、静物画というのは画家としては最低のランクに入るものだったのが、芸術に造詣の深かったデルモンテ枢機卿がカラヴァッジョの静物画に目をつけたことをきっかけに、華々しくローマにデビューすることになる。デルモンテ卿の手紙には、若きカラヴァッジョを「すでに大家」と評しており、もうひとつ「手に負えぬ人物」とあるから、枢機卿は「アートと人格は別」ということも良くわかっていた目利きだったに違いない。

 ローマで「聖マタイの召命」を発表するやいなや、光と影のコントラストの強烈な作品はたちまちローマで脚光を浴び、一躍スターの座に躍り出る。だが、芸能人でも「お騒がせ」がいるように、人気を浴びて脚光を浴びるようになると、カラヴァッジョはスキャンダリストの本領を発揮した。

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