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悲劇の現象学Vol.6

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分析心理学の父、カール・グスタフ・ユングは、「シンクロニシティ」という概念を唱えた。一見、関連がないように見える事象が相互につながり合っていることを説いたのだ。かつてメディアを賑わせた凄惨な事件や悲劇的な事故。その現場に残された〝遺物〟をたどると、忌まわしい記憶と、我々が過ごす平凡な日常をシンクロさせる見えない糸が浮かび上がってくる。事件記者が綴る暗黒のアナザーストーリー「悲劇の現象学」シリーズ


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画像は、『王国への追跡 ~地下鉄サリン事件から15年 オウム特別手配犯の潜伏先~』(晋遊舎)

【第5の遺物 オウム菊地と性愛日記】

 1995年の東京都庁小包爆弾事件で、殺人未遂ほう助罪などに問われたオウム真理教の元信者、菊地直子被告(42)の裁判員裁判が始まった。逮捕直前まで内縁の夫と2人でひっそりと潜伏生活を送っていた菊地被告。裁判でも、彼女の「女」としての性を感じさせる一幕があった。

 事件を計画した元幹部の井上嘉浩死刑囚(44)が証人として出廷した時のことだ。

 菊地被告の教団内での役割を説明する中で、元幹部の中川智正死刑囚(51)の名前を挙げ、「中川さんと菊地さんは戒律を破った。恋愛関係にあり、身体接触があった」と暴露したのだ。

「学生時代にマラソンの経験があった菊地被告は、教団の陸上部に選手として所属。中川死刑囚はその指導役だった。師弟関係から男女の仲になっていったのだろう」(オウム事件を取材した週刊誌記者)

 当時、菊地被告は20代前半の女盛り。禁欲的な教団生活の中でも、わき上がる性衝動に抗えない時もあったのか。
 
 長い逃亡生活の中で残した“日記”にも、そんな弱さを垣間見せていた。

「1996年11月、菊地が埼玉県所沢市のアパートに潜伏していることを捜査員がキャッチ。現場に踏み込んだが、彼女は直前に脱走した。そこに残されていたのが、ピンク色の表紙のルーズリーフノートだった」(当時の事情を知る捜査関係者)

 関係者によると、走り書きのようなメモで、女性らしい丸っこい細かい文字でびっしりと文字が書き込まれていたという。「二つの葛藤」との書き出しで始まる、その内容は驚くべきものだったという。

「書き込みの大部分は、ほかの男性信者への思いや、自分との関係について綴られたものだった。特に、同じ逃亡犯の身だった平田信(被告)には明らかな愛情を抱いていたようで、平田への執着が文章の節々からうかがえた」(同)

 教団の教義ではタブーとされていた男女の交わりについての描写もあったという。

「彼女は、もてあまし気味の性欲を『邪悪心』と表現して何とか抑えようとしていた。男の優劣を教団内での地位で図っているような所があり、教団内ではかなり上の地位にあった林泰男死刑囚にも憧れていたようだ。他の女性信者への嫉妬心もあけすけに綴っていた」(先の捜査関係者)

 菊地被告は逃亡生活の当初は、同じオウム手配犯だった高橋克也被告と行動をともにしていた。

 しかし、その高橋被告に対しては、愛憎にも似た複雑な思いを抱いていたようだ。

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