>  >  > ピラミッド型の大型古墳発見!

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 専門家による調査が行われている奈良県・明日香村の「都塚古墳(みやこづか)」だが先頃、古代史研究家を驚かせる発表が行われた。なんと5段以上に石が積まれたピラミッド形の大型方墳であることが判明し、都塚古墳はこれまで発見されている古墳にはないユニークで謎に満ちた古代建築物として注目を集めることになったのだ。


■都塚古墳はピラミッド型方墳だった!

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日本にピラミッド発見! 「Ancient Origins」の記事より

 都塚古墳は古墳時代にあたる6世紀の後半に建てられたとされ、当時の有力豪族・蘇我氏の礎を築いたといわれる蘇我稲目(そがの いなめ、西暦506年―570年没)の墓ではないかといわれている。

 調査に携わった明日香村教育委員会と関西大考古学研究室が8月13日に行った発表によれば、方墳の一辺の長さは約40mで、石を組み合わせて敷き詰めた層が7~8段(今回見つかったのは5段目まで)積み上げられたピラミッド型の構造であると考えられるということだ。方墳の西側の部分は少なくとも7m以上の高さがあり、東側は少なくとも4.5m以上あるとのこと。上から俯瞰して正方形に近い形なのか長方形なのかは現在はまだわかっていないが、この後に築かれた天皇陵に迫る規模の大型方墳であることが明らかになった。

 研究者によれば、当時の日本の権力者(蘇我氏など)が外国で流行している建築様式に倣い前方後円墳に代わるものしてこの方墳を設計したのではないかと考えられている。国内の同時期の方墳でピラミッド状の墳丘が確認されたのは初めてということだ。

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調査が進む「都塚古墳」の俯瞰写真 画像は「Ancient Origins」より


■高句麗と密接な関係があった蘇我氏

 もしこの都塚古墳に葬られているのが蘇我稲目だとすれば、天皇陵に迫る大きさの斬新なピラミッド型陵墓に埋葬された蘇我稲目とはいったいどんな人物なのか? 

 古墳時代から飛鳥時代にかけて栄えた地方豪族の蘇我氏は、この時代に朝鮮半島の内奥部で繁栄していた高句麗(こうくり)と密接な関係があるとされている。蘇我稲目の父・蘇我高麗(そがの こま)の母は高句麗人だったといわれており、今でいうなら蘇我稲目はクォーターだったということになる。

 西暦536年(宣化天皇元年)にヤマト王権の大臣となった蘇我稲目は日本への仏教の導入に貢献すると共に国家財政にも手腕を振るい、蘇我氏を権力の頂へと引き上げた功労者とされているようだ。結婚後は蘇我馬子(そがの うまこ)ら4男3女の子をもうけ、娘3人全てを天皇家に嫁がせてその後の一族の隆盛の基盤を作ったとされている。

 クォーターである蘇我稲目自身も高句麗との関係が深く、一説では蘇我稲目は高句麗人の女性2人を妻にしたという記述が「日本書紀」に残っているという。蘇我氏と高句麗の深い関係が明らかになる中、今回のピラミッド型であることが分かった都塚古墳が、世界遺産である高句麗(現在は中国・吉林省集安市)の「将軍塚」にソックリであることも世に知られることになったのだ。都塚古墳は外国(特に高句麗)の建築技術で建てられたものである可能性が極めて高くなったといえるだろう。それによって都塚古墳が日本の古墳に類例のない外形であることにも説明がつくのだ。

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中国吉林省集安市の「将軍塚」 画像は「Wikipedia」より

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