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死後記念写真「Daily Mail」より

 スマートフォンの普及により、手軽にいつでもどこでも写真が撮影できるようになった現代。とても便利になった反面、たまたま自殺や事故現場に居合わせた人たちが興味本位に亡くなった人を撮影し、不特定多数の人を驚かせようと電子掲示板やSNSに投稿するなど、人間性を疑いたくなるようなことをする者もいる。

 現代社会において、遺体写真を撮影することはモラルに反すると考えられており、遺族であっても死亡後の家族の写真を撮ることは抵抗を感じるものである。しかしヨーロッパでは、亡くなった家族の遺体写真を撮影するのが「ごくごく自然な流行」だった時代があった。ヴィクトリア朝時代(1837~1901)に、庶民の間で行われていた「死後の記念写真ポストモーテム・フォトグラフィー)」である。


■庶民が求めた、ダゲレオタイプでの死後写真

 ヴィクトリア朝時代の始め、1839年にフランスで世界初の実用的写真技法「ダゲレオタイプ(銀盤写真)」が発明された。金属板に沃化銀を塗り、露光時間をかけて像を板に焼き付け、水銀の蒸気に曝すことで像が現れるという技法で、たいへん高価であったため、当初は上流階級の人たちや特別なイベント等の記録のみに使われることが多かった。

 発明当時の「ダゲレオタイプ」は感度が低く、明るい日中でも露光時間に数十分間かかった。露光時間中に動いてしまうときちんとした写真が撮れないため、人を撮影する際には、動かないようにと体を固定したため、当時の肖像写真は誰もが不機嫌な表情を浮かべている。それでも写真を撮ったのは、上流階級の間で写真撮影はステイタスであったから。苦労をしてでも自分も写真を手に入れたかったのだ。

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死後記念写真「Daily Mail」より

 この「ダゲレオタイプ」。庶民にはとても手が届かないものかと思いきや、庶民の間でも写真撮影は行われていた。1850年代に撮影にかかる費用が下がり、1860年代になると庶民にも支払いができるようになったからである。とはいえ、高価なものには変わりなく、そのため彼らは上流階級者とは異なる目的で写真撮影を依頼するようになった。庶民が撮影したのは、大金を払っても写真として残しておきたいもの。亡くなった愛する家族の遺体の写真であった

 遺体は動かないため「ダゲレオタイプ」にはうってつけであった。遺族たちは注目をつけたり、いちゃもんをつけることもなく、高慢な上流階級者たちの機嫌とりをしてきた写真家たちにとって、遺体写真撮影はとてもやりやすい仕事だった。重く大きな機材を持ち、不幸のあった家をめぐる写真家たちに、遺族は感謝した。


■潜在的な死への恐怖、愛する者を失う悲しみが発展させた

 ヴィクトリア朝時代、欧米には死にまつわる様々な迷信があった。「家中の時計を、死亡時間ぴったりに合わせて止める」「家族が亡くなると鏡は魂を吸いとり、鏡の世界に入ると二度と出られなくなる。だから家の中にある鏡は全て黒い布で覆わなければならない」「遺族は2年間喪に服し、社交してはならない」「未亡人は夫の死後少なくとも4年間は黒い服を着用し喪に服す」などであり、誰もがこの迷信に従った。それは死に対する恐怖心からだとされている。

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