>  > 御嶽山噴火で考える ― 木曽路をめぐる因果

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渋井哲也

~【ジャーナリスト渋井哲也のひねくれ社会学】都市伝説よりも手ごわいのは、事実だと思われているニセモノの通説ではないだろうか? このシリーズでは実体験・取材に基づき、怪しげな情報に関する個人的な見解を述べる~

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※イメージ画像:Thinkstockより

 「木曽路はすべて山の中である」――。島崎藤村が『夜明け前』の冒頭で書いた一節です。木曽路は中山道の木曽谷のエリアを指します。そこには、木曽十一宿と呼ばれる11カ所の宿場町があります。長野県と岐阜県にまたがる御嶽山(おんたけさん、標高3067メートル)と木曽路は、木曽地方の有力な観光資源です。


■木曽路の観光資源、御嶽山が25年ぶりに噴火

 木曽路の面積は香川県とほぼ同じと言われています。「是より北(南) 木曽路」と書かれた、石碑が木曽路の入り口に建っています。北側は塩尻市贄川地区にあり、贄川宿の近く、かつてはここが尾張藩と松本藩の境でした。また南の入り口は岐阜県中津川市。こちらは越県合併前は長野県の場所で、馬籠宿が南側の最初の宿場です。

 その木曽路の観光資源である「御嶽山」が噴火し、多くの登山客が犠牲となりました。御嶽山は長くの間、死火山だと思われていましたが、1979年の噴火後、活火山として定義されていたのです。それ以降、小規模の噴火が繰り返していましたが、大規模な噴火は25年ぶりでした。今回の噴火では、犠牲者は死者・行方不明者あわせて50人以上となり、火山活動での犠牲者は戦後最大となりました。


■厳しい自然環境

 木曽谷の国有林にはかつて多くの森林鉄道があり、王滝川沿いにはその中の一つである「王滝森林鉄道」がありました。御嶽山麓の国有林では、木曽五木(ヒノキ・サワラ・アスナロ・コウヤマキ・ネズコ)を中心とした林業が盛んで、鉄道は伐採した材木を輸送するのが主な目的だったのです。かつては「ヒノキ一本、首一つ。枝一本、腕一本」と呼ばれるほどの価値がありましたが、輸入木材の影響で林業が衰退の一途をたどることになります。

 御嶽山麓は、過酷な自然環境です。だからこそ、ヒノキが立派に育つのですが、その一方で、自然が人間に牙を向ける時もあります。その一つが今回の噴火だったのでしょう。前回の噴火の5年後には、長野県西部地震が起きていることをふまえると、今後も地震への備えが必要なのかもしれません。

 しかし、今回は備えが十分ではありませんでした。山頂近くに設置されていた地震計が13年8月に老朽化のために壊れていたのです。予算の関係で10月に設置される予定だったといいますが、たとえ地震計があっても、今回の噴火で予兆がつかめなかったかもしれません。ですが、こうしたひとつひとつの備えの不備が、人々の犠牲につながってしまったのだとすれば、無関係とはいえないでしょう。


■「御嶽山」か、「御岳山」か

 噴火後、メディアでは「御嶽山」関連のニュースが盛んに報じられましたが、当初「おんたけさん」は「朝日新聞」をはじめ、地元紙の「信濃毎日新聞」「岐阜新聞」、中部地方のブロック紙「中日新聞」(系列の「東京新聞」を含む)は、「御岳山」と表記していました。(ちなみに、「信濃毎日」web版は当初、自社記事が「御岳山」、共同配信記事が「御嶽山」とわかれていた)

「朝日」も「信濃毎日」も噴火した当日の号外は、「御岳山噴火」との見出しだったのを覚えています。しかし「朝日」は初日の27日のWeb版から表記を変えています。「信濃毎日」は9月29日付け、つまり噴火から2日目の紙面から「御嶽山」に変更しました。中日や東京、岐阜も他のメディアにならったのでしょう。

 私は、長野県の地方紙「長野日報」木曽支局(現在は閉鎖)で、記者をしていました。「御嶽山」の関連の記事を書く時は、火山性地震のこと、あるいは自然環境のこと、スキー場やロープウェイなど観光のことが主で、その際、表記は常に「御岳山」。新聞は常用漢字を用い、分かりやすい表記をすることになっているためです。新人記者のとき、「御嶽山」と書いたことがありますが、修正された記憶があります。

 この表記については、噴火した当日、Twitterでも話題になっていました。「御岳山って東京の?」、「御嶽山とちゃんと書け」や、「御岳山と書くのは誤報だ」など……。しかし、長野県、岐阜県のメディアが「御岳山」と書くのは通常のことだったのです。中日新聞も中部地方のブロック紙で、常に「御岳山」と書いていました。

 ただ、地元以外で「御岳山」と表記した場合、東京・青梅市にある「御岳山(みたけやま)」と区別がつきにくいと考えたのではないでしょうか。ニュースサイトで閲覧した時に、紙面と表記がわかれるのは混乱するとの判断もあったのでしょう。ですが、だとしても地元紙までが「御嶽山」としなくてもいいのではないでしょうか。当初、中日新聞はWeb版で共同配信と思われる記事でもわざわざ「御岳山」に直していたくらいです。


■前回噴火の5年後に長野県西部地震

 先に書いたとおり、御嶽山には記者時代、何度も取材で訪れ、山頂まで行ったことはありませんが、スキー場やキャンプ場、開田高原などを巡りました。余談ですが、スキー場の経営の失敗による損失などが影響し、王滝村は木曽町への合併構想話のネックになったという経緯があります。

 御岳山麓にある王滝村では、前回の1979年噴火から5年後の1984年に長野県西部地震が起きています。死者と行方不明者あわせて29人が犠牲となりました。このとき、王滝村には全国から支援があり、それ以降、村民たちは被災した地域があれば、他に先駆けて支援活動をしていました。

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