>  > 「感性みたいのはあまり関係ない」伊藤ガビン インタビュー

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渡邊浩行

トカナ動画コンテスト審査員・特別インタビュー!! 伊藤ガビン先生:前編】

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伊藤ガビン氏

 雑誌編集者としての仕事を皮切りに、本や雑誌のみならず、ゲームや映像制作、デザイン、展覧会ほかイベントの構成など、ジャンルにとらわれることなく世の中に面白いものを発信し続ける伊藤ガビン氏。ご自身のキャリアや作品を作ることについて、さらにはクリエイティブとオカルトについてなどなど、ざっくばらんにお話を伺った。


■若い才能の背中を押すのが趣味

――ガビンさんとタナカカツキさんが推してらしたアニメ作家の水尻自子(みずしりよりこ)さんの作品、面白いです。YouTubeの再生回数はあまり多くないようですが…。

水尻氏の作品。かなりクセになる。ほかの作品もとてもよい

伊藤氏(以下、伊藤) 世界的には超有名なんですけどね。広島国際アニメーションフェスティバルで大きな賞を取ったり、海外のアートアニメーションの世界では評価されまくってますよね。でもなんでいきなりその話題なんですか!

――才能ある若者を見抜く目利きなんですね。

伊藤 あ~、そういう訳じゃないんですよ。僕は「他人の背中を押す」のが大好きなだけです。水尻さんの場合もただやみくもに押しただけ(笑)。僕、会社辞めさせたり学校辞めさせたりするのが「趣味」みたいなところがあります。数えきれないくらい背中押してますね。ハンドメイドルアーのブランド「痴虫」(http://www.chimushi.com/)をやってる松本光弘さんとか、当時サラリーマンだった彼に、初対面に近いお花見の席で「ルアーやりたいなら辞めれば~?」って、無責任に散々言ってたら本当に辞めちゃってね。そういう、他人の人生に勝手に介入するっていう。完全な僕の娯楽です。その人によかれと思ってやってるわけじゃないんです(笑)。

――ガビンさんの会社である、ボストークで働いている若い人たちはどんな人達なんですか?

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ボストークで制作されたもの

伊藤 勝手にいる人達だけですよ。募集もしてないし採用もしていない。勝手に事務所に来て「なんかこの人毎日来るようになったな」って感じの人達の集まりです。今はシェアオフィスっぽくなっているから僕のところに来たわけじゃない人たちもいますね。雇用しているわけじゃないし。うん、勝手にいるんですよ。

 で、ずっと事務所にいたら頼んじゃうじゃないですか。絵が描ける人がその場にずっといたら「今ここで絵が必要だ」っていう時に声をかけて描いてもらう。最初はあんまり仕事できない人も頼んでいくうちにどんどんスキルがあがってくる。そして本当に使えるようになった時に、ここからいなくなるっていう…(笑)。


■ゲーム雑誌の編集者からゲームの制作へ

――ガビンさんは、アスキーが刊行していたPCゲーム雑誌「ログイン」から編集者の仕事をスタートされたそうですが、ログイン編集部にはどういった経緯で入られたのですか?

伊藤 大学生の時にバイト募集の記事を見て応募したんです。そのまま6~7年いましたね。就職活動もしたんですが、全部落ちたんです。氷河期でもなんでもなくて、むしろバブルの始まりくらいだったと思うんだけど。その年、1000人も採用してるIBMも落ちたんですよ。

――企業の側に見る目がなかったんですね。

伊藤 いや~~、今にして思えば相当採用したくない感じの若造だったんじゃないかな。いま当時の僕がうちの会社に来たら、僕も絶対採りたくない(笑)。人として信頼できない感じが漂ってたと思いますよ。まあ、いまでもそういう“信頼に値しない”感じはあるんだけど、当時はきっともっと。

 就職に失敗したので、そのままアスキーにいたんです。僕がいた頃は、伝説になっているくらいくだらない記事が誌面の半分を占めていいて。たとえば、1990年の元旦号で「1992年特集」とかやってるんですよ。「92年、何か来そうだぞ」とか言って上を説得したら丸々任せられたりして。その後、「ログイン」を辞めた後は、藤幡正樹さん(メディアアーティストで東京藝術大学教授)のアシスタントを1年やりましたね。元々、藤幡さんのファンで、「ログイン」でも何度かインタビューをしていたんですよ。それで会社を辞めるタイミングで藤幡さんの所に行って「会社辞めようと思うんですよね」って言ったんです。すると藤幡さんが「へー」って。だから、もう一度「会社辞めようと思うんですよね」って言ったら「わかったよ、ウチに来れば」って(笑)。で、事務所に入れてもらって。で、その後、藤幡さんが先生業に専念することになって、今のボストークを僕と乾さんという人と2人で立ち上げたんです。

――「パラッパラッパー」は丁度その時期ですよね。

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一世を風靡したパラッパラッパー(Sony PSP)

伊藤 まー、そうですね。でもその頃同時に「風水先生」っていう名前のまったく日の当たらなかったゲームも同時並行で作ってたんです。完全な失敗作と言っていいと思います……。だから別にゲームデザインの才能があるわけでもないんですよね。たまたま当たったものもあったし、ぜんぜんダメだったものもある。風水先生はそういえば、ある種のオカルトですね。

――「風水先生」ですか。

伊藤 アスキーにほぼ同時期に在籍してた船田戦闘機とスタパ齊藤っていうのがいて、彼らといっしょに会社作ったりして遊んでたんですよ。で、船田とスタパのふたりが「易」にはまって、『易占機関』っていう易ソフトを作ったんです。で、それが完成して、打ち上げで安いフグ料理屋みたいな所に行ったら、隣に荒俣さんがいて。

――荒俣宏さんですね。

伊藤 今はテレビに出てる“人のいいおじさん”みたいな雰囲気出してますけど、本当はオカルト王ですよね。その荒俣さんが同じ店にいたので、面識あったので、こういうもの作ったんです! って易のソフト見せたんですよ。そしたら荒俣さんが「次は風水が来るから、風水のソフト作れば?」って言われて、それで荒俣さんに監修をお願いして「風水先生」を作ることになったんです。その頃、風水って言葉ぜんぜん使われてなくてね。でもゲーム作りとしては難しかった……一方で気楽に作ったパラッパの方が売れたんですよね。そういうものかもしれないけど。

――「パラッパラッパー」のようなタイプのゲームはなかったですよね。

伊藤 最初は周りから「音に合わせてボタン押すことのどこが楽しいんですか?」とか言われたけど、当時「音ゲー」っていうジャンルはまだなかったから説明ができなかったんですよ。でも売れるとは思ってましたね。ただ、僕が作ったっていうのはちょっと言い過ぎな感じがある。やっぱり松浦雅也さんの個性が出てるし曲もよかったし、グラフィックのロドニーさんもよかった。

――「パラッパラッパー」の制作では編集者的な立ち位置だったんですか?

伊藤 僕はシナリオを頼まれたんだけど、その時シナリオを書いたことがなかったんですよね(笑)。そういうのを「間違い発注」って言ってるんだけど、間違い発注ほど楽しい仕事はないんですよね。やったことない仕事ほど楽しいことはないじゃないですか。どうなるか予想つかないわけだから。だから間違って発注された仕事は積極的に受けるようにしてます

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