>  > 元自衛官ストリッパー沢口友美!

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※イメージ画像:『反戦ストリッパー白血病に死す―沢口友美伝』(グラフ社)

 2014年10月。ストリップ劇場「浅草ロック座」の運営会社が破綻した。長らく斜陽と言われたストリップ業界。全国で閉館に追い込まれる劇場が増えている。「浅草ロック座」は質の高さでその頂点に立つ存在だった。ここまで危機が及んでいるのかと、驚いた。「浅草ロック座」は、オーナーを変えて、なんとか営業は続くようだが……。

 ストリップには、忘れられない踊り子さんが何人もいる。その中で特に記憶に残るのが、44歳の若さで亡くなった、沢口友美だ。彼女は、イラク・バグダッドの国際会議場で、反戦を訴える演説を行ったこともある。


■沢口友美の生い立ち

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 1961年生まれの沢口友美は、広島県ので生まれ育った。高校卒業後の79年、陸上自衛隊に入隊。呉駐屯地で基地通信という部署に勤務する。

 2年後には埼玉県の朝霞駐屯地に異動。仕事は同じく、基地通信だ。隊に関する、あらゆる情報が集まる。休暇中の隊員が、石和温泉のストリップのまな板ショーに上がった際に、たたまた警察の手入れがあり、捕まったなどという情報も来る。その頃の友美は、「まな板」と言えば、台所で使うものしか知らなかった。

 その頃から踊るのが好きだった、友美。だが宿舎は駐屯地の中にあり、そこから派手な格好で出て行くことは禁止されている。同僚の女性と外にアパートを借りて服を置き、休日ともなればそこで着替えてディスコに出かけた。ちなみにこの頃、休日で出かける男性隊員には、コンドームが手渡されたという。
 
 自衛隊は門限が厳しく、踊りで盛り上がっても、それまでに帰らなければならない。様々な規律の厳しさに嫌気が差したのか、1982年に友美は辞表を出して退官した。


■自衛隊から“ストリッパー”へ異例の転身

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 その2年後、渋谷を歩いていた友美は、スカウトマンに声をかけられる。ダンスの仕事と言われ見に行くとストリップだった。思いもよらない美しさに、目を奪われる。だが、自分にはとてもできそうにない。

「人前で裸になるなんて、とても無理です」

 そう言って断ると、劇場主は言った。

「ストリップ入りは無理強いしないから、振付師にダンスを習ってみない?」

 無職で、することもない。無料でダンスが学べるならと、毎日通った。

 一週間経った頃、劇場主が来て友美の踊りを見た。

「友ちゃん。やっぱり才能あるね。もうできているじゃない。じゃあ、劇場行こう」

 褒められて舞い上がり、そのまま劇場に行き、押し出されるように舞台に出た。男性客の熱い視線にさらされて、友美は服を脱いでいく。全裸になって脚を開くと、あまりの恥ずかしさにへたりこんでしまった。

 こうして、ストリッパー・沢口友美は誕生した。自衛隊出身ダンサーとして売り出され、幼さの残るルックスと鍛えぬかれたボディのギャップも受け、たちまち人気となる。

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