>  >  > 作家・新田次郎が遭遇した「白い殺人糸」

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羽仁礼

■UFOと作家・新田次郎の縁

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小説に書けなかった自伝」(新潮社)より

 新田次郎(本名:藤原寛人)といえば、著書『強力伝』で1956年の直木賞を受賞し、その後も『武田信玄』に代表される壮大なスケールの歴史小説や、『八甲田山死の彷徨』などの山岳小説を数多く残した高名な小説家である。その一方、気象庁職員でもあった新田は、高層気象観測課長や測器課長として、富士山気象レーダー建設の大任を果たしている。

 この新田次郎には、さらにもう一つの顔があった。実は新田は、日本で最初に結成されたUFO研究団体「日本空飛ぶ円盤研究会」とも深い関係にあったのだ。「日本空飛ぶ円盤研究会」といえば、故・荒井欣一が中心となって1955年に設立し、声優の徳川夢声や作家の三島由紀夫、石原慎太郎、ロケット学者の糸川英夫など、そうそうたる人物がメンバーや顧問に名を連ねていたことでも知られる。新田はこの団体の「客員会員」という扱いであった。

 新田次郎とUFO――、この組み合わせがなぜ生じたのか。手がかりとなる事件が1946年(昭和21年)8月に起きている。これは、UFOの存在が初めて公に認知された「ケネス・アーノルド事件」(1947年)よりも前に、新田自身が体験したUFO事件であるが、さながら「エンゼル・ヘアー殺人事件」とも呼ぶべき、世界でも類を見ない恐るべき事件であった。


■「エンゼル・ヘアー」目撃までの経緯

 1945年(昭和20年)、満州の中央気象台に赴任していた新田は、妻(作家・藤原てい)や子どもとともに、現地で終戦を迎えた。しかし当時、旧満州地域にはソ連軍が攻め込んでおり、家族と生き別れた新田はソ連軍に抑留され、まず中国東北部にある延吉の捕虜収容所に入れられた。

 ソ連軍の捕虜になった新田次郎は、その後、無線技術者として八路軍(中国共産党軍)に雇われるなど紆余曲折を経て解放され、日本へ引揚げるために他の捕虜仲間とともに鉄道で吉林を目指す。しかし途中の線路が破壊されており、一行はやむなく徒歩で老爺嶺(丘のような場所)の鉄道駅へと向かうことに。そしてようやく目的地に到着した彼らは、その場で数日間野営することになる。そのような中、「エンゼル・ヘアー殺人事件」は起きるのだ。

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フランスで目撃されたエンゼル・ヘアー「HowStuffWorks」より

 エンゼル・ヘアーとは、UFOが飛行した後に時折見られる糸状の物体で、空中から落ちてくるが、すぐに消えてしまう。ただ、UFOの出現とは関係なく、エンゼル・ヘアーのみが降ってくる場合もある。もちろんこの事件当時、エンゼル・ヘアーという言葉は存在せず、新田本人も後日その存在を聞いたのだという。

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コメント

2:匿名2017年9月 2日 23:36 | 返信

クモの糸でも束ねれば人を絞め殺せると思うが

1:匿名2015年1月31日 19:22 | 返信

たしか、火山性の物質だったような

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