>  > ダ・ヴィンチは内臓フェチで、グロ大好き?

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――エカキで作家・マンガ家、旅人でもある小暮満寿雄が世界のアートのコネタ・裏話をお届けする!

 今回は西洋絵画史上、最も有名な絵と言っていいだろう。「モナ・リザ」(以下モナリザ)の秘密について探ってみることにしよう。

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モナリザWikipediaより

 以前、テレビでモナリザのモデルの子孫と称するセレブ姉妹をリポートする番組をやっていたが、もちろんよく知られているように、モナリザのモデルが一体誰だったのかはいまだにわからないのが真実だ。

 マントヴァ候妃イザベラ・デステであるとか、フィレンツェの名士フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザ・デル・ジョコンドだとか、はてまたレオナルド・ダ・ヴィンチの母親の若い頃であるとか、諸説紛々なのだが、それを「この人がモナリザのモデルの子孫です」と、堂々とオンエアしてしまうのが、まさにテレビ局の軽佻浮薄さか。

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イザベラ・デステ


 とにかく、モナリザほど神秘のベールに覆われた絵はないだろう。モデルは誰かという話以外にも、食い違うエピソードは多い。


■モナリザの謎

・大きさ

 たとえば、この絵はもともとは左右各7cmほど大きかったそうで、これはラファエロによる模写スケッチからそう推測されている。ある資料では、作者のレオナルド自身が切り取ったと記されてあるが、別の記述ではナポレオンが自分の寝室に掛けるため、額に合わせて削ってしまったとある(ナポレオンはアルトドルファーの『アレキサンドロス王の戦い』で同じように額の大きさに合わせて絵を削っている。)たしかに、モナリザを削るなんてことは、作者かナポレオンくらいにしかできない芸当だ。

・モナリザの足取り

 また、モナリザが出身地のイタリアでなく、なぜフランスのルーヴル美術館にあるのかというのも謎だ。確かに、レオナルド・ダ・ヴィンチはフランソワ1世の招きでフランスのフランボワーズに赴き、彼の地で没している。彼は終世「モナリザ」を手放さなかったと言うから、死の床の傍らにもこの絵があったのだろう。

 だがレオナルドの死後、モナリザの足取りを知る者は誰1人いないのだ。

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自画像

 モナリザ同様、レオナルド・ダ・ヴィンチ自身も謎の人である。だが、その生涯は「万能の天才」とは裏腹に、屈折した一面があったと思われる。そこにモナリザの“謎の微笑み”を解く鍵がありそうだ。ちょっとレオナルドの生涯をひもといてみよう。

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