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山田高明

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※イメージ画像:『未解決事件 オウム真理教秘録』文藝春秋

 今年の3月20日で、地下鉄サリン事件から20年目を迎えた。長き月日を経て、改めて事件の悲惨さを思い起こすと同時に、オウム真理教とは何だったのかを問い直す動きが起きている。

 興味深いのは、30人もの人々を殺害しておきながら、この教団がアレフと名前を変えて未だに存続していることだ。信者も1千名を超えるという。潜入捜査によって、教団が密かに麻原信仰を守り続けている実態も暴露されている。

 警察や公安調査庁も、結局のところ、どうしていいか分からないようだ。これからも教団への監視を続けて、適当にガサ入れするくらいしか打つ手がないらしい。これまでオウム真理教について散々テレビで解説してきたジャーナリストや学者・弁護士の皆さんも、具体的な対策となるともうお手上げというのが本音ではないだろうか。

なぜ組織は潰れないのか。なぜアレフに魅了され続ける人が絶えないのか。なぜ信者の脱洗脳に失敗し続けているのか――。それは上に挙げた対策サイドが、実は一番基本的なことを理解していない可能性があるからである。信者を繋ぎとめているのは「的な知識」だ。誤解を恐れずにいえば、オウム真理教またアレフの教義には、それなりに霊的真理が含まれているということである。そして、その真理が今なお人々を引き付けているのだ。

 これは我ながら本当に誤解を招きかねない意見である。ある人は熱くなって「おまえはオウムの殺人教義や過去の犯罪を肯定するのか!?」と詰問してくるだろう。

 もちろん、答えは「ノー」だ。私が言いたいのは、今まで教義の誤った点ばかりが強調されすぎて、何らかの正しい点もあり、この肝心な点が見過ごされてきたのではないか、ということだ。こういう事実なり現実なりを率直に認め、前提とした上で対策を立てない限り、これからもオウムの残党とその潜在脅威は決して消えることはないだろう。

 いわゆるカルト教団は、世間から見ると奇矯な存在である。それゆえ、その教義は妄信に満ちたデタラメばかりなのだという見方は、実は偏見に過ぎない。あらゆるカルトは、伝統宗教の洗練された教えや一般道徳的な教えを、大なり小なり借用している。そこに、教団独自のプロパガンダを抱き合わせるというのが基本的な手口だ。たとえば、「教祖が○○の生まれ変わりである」「病を治癒するパワーがある」「霊界と交信して霊障を取り除ける」「宇宙人とチャネリングしている」「終末予言と救済」などが挙げられる。

 俗に玉石混淆というが、玉の部分は誰が見ても玉である。同じように、キリストやブッダの説いた教えは、誰が見ても素晴らしいものとしか思えない。カルト教団はそういった教えを借用することで、人々に正しいと思わせる手法を取る。初期の信仰はそういった部分に生じるのである。不幸にして、いったん信じ始めた人は偽教義(プロパガンダ部分)も信じやすい心理状態に陥ってしまう。教団のほうも、教祖のカリスマ性を演出したり、トリックを使ったり、霊や予言で恐怖心を煽ったりして、いろいろと嘘の部分を信じ込ませる努力をする。一般的な社会的信用力もまた、大いに教団と信仰の権威・正当性を後押しする。たとえば、教祖が高学歴であったり、著名人との交友があったり、博士号を所持していたりすると、人々は信用し易くなる。だから、教祖側は、金をばら撒いて海外の大物政治家と握手したり、第三世界の大学やディプロマミルの学位を買ったりする。

 オウム真理教などはその典型的な例といっていい。基本教義は仏教やヒンズー教から借用してきたもので、そこに「麻原が最終解脱者・超能力者で未来を予知できる」といったプロパガンダを抱き合わせている。あとは金を払い、手に入れたダライ・ラマの宗教的権威を利用し、タレントや学者と親しく対談することで、うまく世間を信用させた。

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1:匿名2015年3月31日 22:12 | 返信

そうかそうか

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