>  > 日本で実際に起きた! 映画さながらの脱獄事件5つ

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平田宏利

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脱獄

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credit:Les Haines/from Flickr CC BY 2.0から

 6日、アメリカのニューヨーク州にあるクリントン刑務所で脱獄事件が発生した。脱獄したのは、殺人罪で服役していた2名の囚人で、厳重な警備体制が敷かれる中、刑務所内の作業所で働いていた女性から入手した電動ドリルで壁やパイプに穴を開け、地下の下水道から脱出を試みた。州当局は1000人態勢で追跡を続けているが、いまだ見つかっていない。

 まさに、映画さながらの脱獄劇であるが、日本においても脱獄事件は過去に発生している。

■白鳥由栄脱獄事件

 日本の刑務所における脱獄の歴史を語る上で欠かせないのが白鳥由栄である。26年間もの服役中に4度もの脱獄を起こした「昭和の脱獄王」と呼ばれる人物だ。

 1度目の脱獄は1936年、青森刑務所で、針金で手製の合鍵を作り脱獄。2度目は42年、秋田刑務所でブリキ板に釘で歯をつけた手製ののこぎりで鉄格子を切断し脱獄。3度目となる44年の網走刑務所収監時には、味噌汁で手錠と視察孔を錆びさせ外し、関節を脱臼させ、監視口をくぐり抜けて脱獄。47年、4度目の脱獄では、札幌刑務所で床下に穴を掘り逃走に成功。48年、府中刑務所に収監されて以後は模範囚として過ごし、61年に仮釈放されている。

■ダッカ日航機ハイジャック事件

 77年、日本航空(JAL)の飛行機が日本赤軍グループ5名によりハイジャックされバングラデシュのダッカ国際空港に強行着陸した。犯人らは人質の身代金として600万ドル(当時の為替レートで約16億円)と、日本で服役中および勾留中の日本赤軍メンバーらの釈放を要求。当時の内閣総理大臣、故福田赳夫氏は「一人の生命は地球より重い」と述べて要求を受け入れると、収監されていたメンバーら6名が釈放された。

 その後、釈放されたメンバーと実行犯メンバー合わせた6名は逮捕されているが、残りの5名はいまだ国際指名手配され、逃走中である。この事件もある意味、仲間の協力によって企てられた脱獄劇と言っていいだろう。

■東京拘置所イラン人脱獄事件

 96年、覚せい剤密売などの罪で東京拘置所に勾留されていたイラン人7名が集団で脱獄した。イラン人たちは当初、独居房に入れられていたが、毎朝熱心な礼拝をするため、拘置所側の計らいで一緒の部屋になっていた。そこで逃亡が企てられ、外部から糸ノコギリを入手すると、拘置所にある窓の鉄柵に少しずつ切れ目を入れて、いつでも外へ出られるようにした。

 事件の起きた当日、イラン人受刑者たちは紅茶パーティーを催し、逃亡に加わらないイラン人受刑者を睡眠薬で眠らせると脱獄を図った。まんまと脱獄に成功した7名だったが、5日後には1人目が逮捕され、9カ月後には最後の1人が逮捕され、事件は終結する。

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