>  >  > 【戦後70年】戦争の怪談 ― 肉片防空壕と山門砲兵

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ルドルフ・グライナー

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戦後70年

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 私は、ルドルフ・グライナーです。日本と世界を研究するドイツ人です。私は、日本と世界の違いやドイツと日本の違いを研究しています。

 みなさんご存知のように、戦争中といえども、毎日銃を撃っているわけではありません。基本的に戦闘が起きるのは数日に1回でしかありません。それは日本軍でもドイツ軍でも同じです。戦争というのは、最前線にいない限り、毎日のように銃弾が飛び交うというわけではないのです。

 ドイツ軍が先に降伏した後も、日本軍は、それこそ世界を敵に回して戦っていました。私が聞いた話の中で、そんな日本軍に関わる不思議な話を皆さんにお教えします。

 これは約20年前、とある日本のお爺さんから聞いた話です。彼は、日本の軍人で、日本のために戦っていました。彼は陸軍で、日本の言う南方戦線、今でいうインドネシアにいたそうです。

 お爺さんがインドネシアに着いたころには、すでに戦況は悪化していて、戦いになっていなかったといいます。彼は、高い丘に大砲を備え付けて、浜辺から上陸してきた敵に撃つ山門砲部隊にいました。しかし、その任務が行われる前に、インドネシアの制空権は敵の手に渡り、そして、毎日のように機銃掃射が来るようになったといいます。しかも、山門砲では飛行機に対抗できません。飛行機が飛んできたら、山門砲を隠し、そして飛行機の攻撃が終わるまでおとなしく防空壕に隠れていなければならなかったのです。隠れている最中は、ほかの兵隊と会話することが多かったそうです。

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