>  >  > キリストは既に“黒人として”再臨していた!! 

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【科学ライターが検証するオカルト!! 救世主はアフリカに黒人として再臨していた!?第1回/全3回】

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画像は、Waiting For The Word/Jesus Christ the Remunerator CC BY 2.0

第1話 預言者サイモン・キンバングーと救世主シメオン・トコの出現

■封印された、ある黒人男の偉業

 これから3回シリーズで紹介する話は、現地の人々にイエスの再臨と呼ばれた人物がアフリカに存在していたことを報告するものである。もちろん、そんな人物は過去に何人も注目されてきた。また、特定の人物が世直しを行うのではなく、個々人がキリスト意識に目覚めることが真の「イエスの再臨」だとする考えも広く浸透している。だが、過去を振り返ると、筆者の知る限り、この人物ほど多くの人々を驚愕させ、熱烈に支持された人物はいないとも思われる。群集の目の前で堂々と数々の奇跡を行い、それらを目の当たりにしてきた証人たちが今なお数千人ぐらいはいるかもしれない。

 では、それだけ騒がれた人物をどうして我々は知らずにきたのかと読者は不思議がられることだろう。確かに、日本ばかりか諸外国のメディアがその人物に関して取り上げることはなかった。また、その人物の活動は常に厳重に監視、妨害されてきた事実がある。そして、何よりもその人物が現れた国は、紛争の絶えない辺境の発展途上国であり、マスコミも一般人もほぼ入国不可能だったことが挙げられる。

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アンゴラの位置

 そのような国とは一体どこだろうか? 答えはアフリカのアンゴラである。アフリカ大陸の南西岸に位置して、ザイール、ザンビア、ナミビアと国境を接している。以前は、コンゴ王国の一部であった場所で、遡ればポルトガルの植民地であった。1956年アンゴラ解放人民軍(MPLA)が結成。1962年にアンゴラ民族解放戦線(FNLA)が、1965年からは同戦線から分かれたアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)が結成された。そして、長い闘争の末に1975年11月に独立を果たした。しかし、その後3派の抗争は激化し、1977年にソ連の軍事援助とキューバ軍の直接支援を受けて、MPLAが内戦に勝利したものの、その後も動乱は続いた。FNLAは撤退し、MPLAは社会主義路線を放棄し、ようやく2002年の休戦協定で平和が訪れた。今でこそアンゴラはダイヤモンドや石油の輸出国として急速に経済成長しているが、最近まで外国人の入国は極めて困難な地であったのだ。

 また、同じくかつてはコンゴ王国であった隣国ザイールに関しても触れねばならない。ザイールはベルギーの植民地であったが、1960年に独立。1971年から国名をコンゴからザイールに変えている。これから紹介する話は、まさに植民地からの独立と内戦最中の出来事であり、主にアンゴラとコンゴを舞台として、ベルギー植民地政府、ポルトガル植民地政府という言葉が登場する。また、15世紀以来、キリスト教各派の使節団が存在しており、改宗しなければ残忍な殺戮が行われたことから、アフリカ人たちは強制的にキリスト教を受け入れざるを得なかった背景がある。そのような状況で、植民地政府から派遣された宣教師や指導者ではなく、黒人指導者が自らの土地から現れたことの意味は大きいことをご理解頂きたい。

尚、本稿で紹介する話の多くは、現地の貴重な情報を知り得たジャーナリスト等からもたらされたものであり、特にアリゾナ州在住のトム・ダーク氏、そして『The True Third Secret of Fatima Revealed』(絶版)の著者パスター・メロ・N・ヨシアス氏の報告によるところが大きいことをお断りしておく。あまりにも信じがたい情報であり、筆者としても戸惑いを覚えるが、報じられた事件をありのまま紹介する。

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コメント

2:匿名2015年9月 6日 05:16 | 返信

ヤコブの神様っていう話を思い出しました

1:匿名2015年9月 5日 04:36 | 返信

簡単に説明して!長すぎる。

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