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清水潔『騙されてたまるか 調査報道の裏側』(新潮社)

 事件、事故、災害──。日々目まぐるしくお茶の間に流れるニュースの発信源をご存知だろうか。テレビ、新聞などマスメディアで流れる報道の多くは、官公庁や企業、警察等の記者会見などでの情報を元に作られている。ところが、しばしば誤報・訂正報道が流れるように、実際にはそのすべてが正しいとは限らない。

 殺人・誘拐事件において取材者が独自に情報を集め、取材を積み重ねる──そんな姿勢を突き進んだ結果、これまで何度も警察・司法発表とは異なる「真犯人」を突き止めたジャーナリストがいる。清水潔(57才)だ。

 カメラマンとしてキャリアをスタートした清水は、新潮社発行の「FOCUS」(休刊)にて1996年から記者として様々な事件・事故取材に携わる。1999年、埼玉県桶川市で女子大生の刺殺事件が発生した際、被害者の友人への聞き込みから殺された女性が、ある男からストーカーを受けていた事実を知る。その後は張り込みや聞き込みを繰り返し、ストーカーチームを割り出し、その中から殺人犯を特定して警察に情報提供をして犯人は逮捕。更に殺人事件前に被害者が告訴状を出していたにもかかわらず、埼玉県警が告訴を取り下げさせようとしていたことも突き止めた(その後国会で告訴状の改竄が判明し、関わった警察官3名は懲戒免職となった)。

 2001年、「FOCUS」休刊を受けて日本テレビに移籍。1990年、栃木県で発生した幼女の誘拐殺人事件の「足利事件」をめぐって、DNA型鑑定によって逮捕され最高裁で無期懲役が確定していた菅家利和さんの無実を証明、真犯人とされる人物に辿りついた(ただし現在も逮捕はされていない)。現在は日本テレビの解説委員を務める傍ら、特別報道班のメンバーとして日々番組の取材・編集・構成を手がけている。

 清水の取材スタイルについて、新刊『騙されてたまるか 調査報道の裏側』(新潮新書)発売にあわせて詳しく話を聞いた。その記者人生は、メディア内外を巣食うほころびとの格闘とも呼べるものだ。ぜひ読んでみてほしい。

■全報道の6割以上! 新聞・テレビの「発表」報道はどこが問題なのか

 新書の副題には「調査報道の裏側」とあるが、「調査報道」と言われてもピンと来ない方も多いだろう。この言葉をどのように理解すべきか訊ねたところ、清水は対比として普段テレビや新聞で流れる報道をあげた。

「通常『報道』と言われるものは記者会見とかプレスリリースとかどこかの発表が情報源になっていることが多い。大組織の発表、欠陥商品のお知らせだったり内容はさまざまだけど、多くは何らかの形で発信をしないといけない人たちが出す情報だよね。これらは『発表報道』と呼ばれることもある。
 発表報道がダメなわけではない。税金の使い道だとか、津波速報、地震速報など、そのなかにも重大なことは多々ある。ただ、そこでは『発表者』側のメリットが強調される場合も多い。なので、話の内容を全部信頼していいのかどうかはまた別の話。例えば最近でも佐村河内事件だったり、STAP細胞事件だったり相手の言い分だけを鵜呑みしたら結局は違ったという事件がたくさん起きているでしょ。
 なので、この事実は本当なのか?と調べてみると、明らかに事実じゃないことも都合よく交じっていたりする。つまりはもらった情報だけじゃなく、それ以外も含めて自分たちの取材、裏取りで明らかにしていくスタイルが『調査報道』ということになる」

「発表報道/調査報道」という言葉を並べると、あたかも報道全体のなかで両者がバランス良く配分されている印象を受ける。しかし、それはまったくの誤りだ。元NHK勤務の小俣一平は調査報道を「独自報道」の1ジャンルと括り、朝日・毎日・読売新聞における約200本の記事を対象に、その中に含まれる発表/独自記事の割合を分析している(『新聞・テレビは信頼を取り戻せるか』平凡社新書)。それによれば、朝日新聞では発表記事63%に対し、独自記事が約3%。毎日では発表記事約66%に対し、独自記事は約2%。読売新聞では発表記事約68%に対し、独自記事はたったの1%。この数字を見るだけでも、国内メディアが「発表報道」にいかに依存しているかがよくわかる。

 清水自身も、実際数としての調査報道は「ものすごく少ない」と評する。ただし、一方では自身は必ずしも自分が手がけてきたことを「調査報道」とは意識してはいない。

「例えば桶川事件を追っているときも『これが調査報道』だなんて一度も考えたことはなかった。調査報道の第一人者になるなんて気合いは今もまったくない。
 ただ、やっぱり『100取材して10を出す』くらいじゃないと間違えるし、怖い。だから可能な限り、自分が納得できるまで取材をして書く。『真実』と思えるものを知りたいという気持ちは強いね」

■警察・検察の「大きな声」は危うい、「小さな声」に耳を傾けろ

 取材を進めて行く上で、清水が大切にしているポリシーがある。事件・事故による故人や、冤罪の疑いをかけられた一般市民などの「小さな声」に耳を傾けるということだ。

「記者を集めて発表ができる人達って元々すごく大きな声、発言権を持っているんだよね。例え自分がやらなくても、そういう人たちの話はどうせ世の中に轟きわたる。なら、でかい声なんてほっときゃいい。誰にも気づかれていないこと、あるいは言いづらいこと。そういう人たちの声を探して、言いたいこと・言えなかったことを切り出していく。その小さな声をアンプにかけて、大きくして世の中に伝えるのがメディアの仕事だと思っている。まあ、これは何も調査報道に限った話じゃないんだけどね」

 清水がそうした心構えを持つようになった出来事がある。1997年、群馬県内の広告代理店がパソコン内の顧客データを消されたとして、経営者が当時社員だった女性に損害賠償を求めて訴えた裁判だ(『騙されてたまるか』では第7章に収録)。

 当初朝日新聞の報道を信じて取材に向った清水は、被告当事者の話を聞く中で原告の言っていることと「何だか話が違う」という違和感を持つ。再度広告代理店に戻ってパソコンを操作してみたところ、顧客のデータがすんなり画面に登場。当時はパソコンが国内に普及し始めたばかりで、操作に慣れていなかった経営者が「データを消失された」と勘違いしていただけだったのだ(その後、朝日新聞では訂正報道が行われた)。

「20歳前の一市民がいきなり元勤務先から『データがない』と訴状をつきつけられたら、例え濡れ衣だとしてもなかなか反論なんてできない。でも、調べてみたら結局は彼女が訴えている通りで、社長の一方的な主張を大新聞が間違って報じていた。彼女の言い分が世に出ていないのは、当時のメディアがちゃんと『小さな声』を聞いていなかったからだと思ったんだよね」

 その約2年後、桶川ストーカー殺人事件への取材を経て、清水は警察・検察などの「大きな声」が持つ危うさを確信するに至る。

「桶川事件のときも、警察は夜回り取材の記者に対して『被害者はブランド志向の女子大生』なんてこっそり言っていた。加えて、当時警察は被害者宅に常駐していて、遺族取材もできなかったんだよね。でもそういう状況のなかで、被害者の女性は『警察に告訴状を出しても助けてもらえない』と事件前に懸命に友達に伝えていた。亡くなった人の声ほど小さいものはないから、それを聞いちゃった自分はちゃんと取材しないといけない。
 当時、埼玉県警の捜査一課と上尾市の署長は笑いながら記者会見に臨み『本件(殺人事件)とストーカーは関係があるんですか?』と質問を受けても『そんなことわかりませんよ』なんてへらへらと答えている。今見てもすごい映像だ。ああいう大きな声ばっかり聞いてると記者はおかしくなってしまう。だからあえて聞かなくてもいいと思うようになった」

 誤解がないよう補足しておくが「小さな声」を聞くというのは、警察・司法当局の情報を遮断し、被害者の都合の良いようにストーリーを作り上げることを意味しない。清水は実際に取材を積み重ねるうえで、利害関係を持った立場からの情報はかえってジャマになることもあるため「頑張ってなるべく排除する」という。悲しいが、相手に騙されることもあるのが取材の現実なのだ。

「例えば、『隣に住んでいる騒音おばさんがうるさくてしょうがない』という不満を持つ住民による対立事案があるとする。昔から別の問題で対立関係にあったとして、苦情を言う住民だけに取材をして、おばさん自身に当たらなかった場合それはわからない。だから紛争モノを扱ううえでは『反対当事者の取材をせよ』というのが基本原則。ところが、ちゃんと取材をしていないと実は『反対当事者』がいたことにすら気づかないまま取材は終わる。対立の構図を作って煽っているのは当のメディアだったりする。あるいはマスコミに扱ってもらおうと思って自分から接近してくる人もいて危険。例えすぐバレるようなことでも、取材しないとわからないからね。要は、又聞きという時点で情報の信頼度がすごく落ちているわけ。
 又聞きは、『警視庁によれば』とか『厚生労働省によれば』というスタイルも含めれば実は多い。しかもそれを誰が言っているのは書かない『捜査関係者によると』なんていう得体の知れない表記になる。でも、又聞きの相手が、実は自己の利害のために適当なことを言っていたなんてケースも多い。発表報道ばかり担当してきた記者はこういうことを疑問にも思わなかったりする」

 警察・司法発表、事件関係者の言い分のいずれかに依存するのではない。自分の取材と分析を交互に積み重ね、それを受けて「書くかやめるか」を決断する──この取材・分析・決断という3つのプロセスを清水はひたすら繰り返す。

「事件の全体像が見え始めても、関係者が死んでいたり、取材拒否者がいたり、足りないピースは必ず出てくるんだよね。どんなに追及しても、絶対に埋まらない部分はある。穴の空いた絵を皆さんにお見せするかどうか、というのが最後の決断の分かれ目になる」

 こうした孤独とも呼べる取材プロセスを積み重ねてきた清水が、もう一つ闘ってきた相手がある。「記者クラブ」だ。(後編へ続く)
(インタビュー・構成 松岡瑛理)

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