>  > 島根県「乙女峠」の聖母マリア出現事件

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2009年、エジプトに出現した聖母
画像は「YouTube」より引用

 有史以来、聖母マリアの姿を目撃したという報告は多数寄せられている。よく知られているものとしては、フランスのルールドやポルトガルのファーティマ、ボスニア・ヘルツェゴビナのメジュゴリエでの目撃例などがあるが、アイルランドのトック、エジプトのカイロ、ニカラグアやルワンダなども有名である。

 聖母マリアの出現に際しては、予言や警告が発せられ、重病人が治癒するなどの奇跡も伴うことが多い。また目撃例の中には、現地のキリスト教徒が危機に陥った際、まるで彼らを慰めるように聖母が姿を現したケースもある。そして日本でも、この種の出現事件が起きているのだ。

 それは明治2年(1869年)、島根県津和野町にある「乙女峠」での出来事であった。なぜ島根県の津和野が聖母マリア出現の舞台となったのかを述べるには、そこから4年前の慶応元年(1865年)、長崎の大浦天主堂に“隠れキリシタン”たちが大挙して名乗り出た、いわゆる「信徒発見」から述べる必要があるだろう。


■概説:信徒発見 ― 現実になった「バスチャンの予言」

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日本二十六聖人の記念碑 画像は「Wikipedia」より引用

 キリスト教は1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルによって日本に伝えられた。しかし1587年、時の権力者である豊臣秀吉が「伴天連(バテレン)追放令」を発令。1597年には、スペイン人宣教師を含むキリスト教徒26人が長崎で磔刑にされるという事件も発生している。(ちなみに、この時の26人は後にローマ・カトリック教会によって聖人に認定されたが、磔にされた彼らの頭上に、謎の飛行物体が現れたとも言われている)

 そして、徳川家康も秀吉の禁令を引き継ぎ、1614年にキリスト教信仰を全面的に禁止した。その20年後の1637年には「島原の乱」が起こるが、これが鎮圧されると、表向きにはキリスト教徒は日本から消え去った。しかし日本各地には、“隠れキリシタン”として仏教徒を装いながらも、自らの信仰を維持する者たちが少なからずいたことはご存知のとおりである。

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プティジャン神父 画像は「Wikipedia」より引用

 そんな彼らの間には、日本のキリスト教徒の未来を予言した「バスチャンの予言」と呼ばれるものが密かに伝わっていた。そこには、「7代後に神父が黒船でやってきて、以後は信仰を告白できる」という内容もあったという。そして実際に「島原の乱」からほぼ7代を経た1853年、アメリカのペリーが黒船で浦賀に来航し、江戸幕府は鎖国政策を捨て開国を決めた。さらに1863年には、フランス人のヒューレ神父が長崎にやって来て、1865年に大浦天主堂が完成しているのだ。

 さて、それは大浦天主堂が完成してほぼ1カ月後の3月17日のことだった。当時大浦天主堂に常駐していたプティジャン神父が祈っていると、門の前に十数名の日本人の一団が集まってきた。神父が応対すると、4、50代くらいの婦人がこう言った。

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コメント

1:匿名2017年1月 8日 16:59 | 返信

幻覚だったんだろうな

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