>  > 過激すぎる「戸塚ヨットスクール」の日常を描いた『スパルタの海』

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――絶滅映像作品の収集に命を懸ける男・天野ミチヒロが、ツッコミどころ満載の封印映画をメッタ斬り!

今回の映画『スパルタの海』

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※画像:『スパルタの海』アルバトロス

 元プロレスラーで文部科学大臣の馳浩は、10月13日の記者会見で大臣に就任し、教師時代に行った「竹刀が折れるまで殴った」生徒への体罰を反省する旨を述べた。

 かばうわけではないが、馳大臣が竹刀を振るっていた1980年代には体罰は当然のように存在していた。大臣だけが行っていたわけではなく、そのようなことがまかり通っていた時代だったのだ。

 そんな中、家庭内暴力・引き籠りの不登校児・非行少年少女・情緒障害児などを、ヨット訓練を通じて更生させる施設として戸塚ヨットスクールが存在した。

 現在ではあり得ない体罰による教育理念を前面に打ち出した戸塚ヨットスクールは、1975年に沖縄海洋博記念太平洋横断単独レースで優勝した戸塚宏が、翌1976年に愛知県知多郡美浜町で開校した全寮制の私塾である。鉄拳制裁によるスパルタ式の指導は着実に成果を上げ、1981年にジャーナリスト・上之郷利昭がスクールに泊まり込みで取材し、問題児たちが更生する過程を描いたルポ『スパルタの海 甦る子供たち』(『東京新聞』『中日新聞』、両紙に連載)が大きな反響を呼んだ。

 だが、この戸塚ヨットスクールで、数人の訓練生が相次いで死亡し、校長の戸塚宏以下15名のコーチが逮捕されるという、いわゆる「戸塚ヨットスクール事件」が発生した。私塾での事件は世間を震撼させ、この影響で1983年に公開予定だった同校を描いたノンフィクション映画『スパルタの海』が公開中止となった。以降30年近く封印を余儀なくされていた作品の経緯を追ってみよう。

■映画『スパルタの海』誕生

 話題となったルポ『スパルタの海』を映画化すべく、目を付けた者がいた。それが、『トラック野郎』シリーズや『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(69年)など様々な娯楽作品・カルト作品を世に送り出し、ポルノ映画の生みの親としても知られる東映の伝説的プロデューサー・天尾完次だ。彼の手により、東宝東和配給による映画化が決定する。

 監督は吉永小百合版(63年)と山口百恵版(74年)の両『伊豆の踊子』や『一杯のかけそば』(92年)の西河克己。主役の戸塚校長役には、「戸塚ヨットスクールを支援する会」の理事も務めていた伊東四朗。70年代に『電線音頭』の電線マン、「つん、つくつくつん」など様々なギャグで一世を風靡したコメディアンにして俳優、司会もこなす息の長いマルチタレントだ。

 また、ネームバリューに乏しいキャスティングの中にあって、物語でメインに扱われる少年の両親に平田昭彦と小山明子が据えられ、家庭内暴力に苦しむ親子の微妙な感情が求められるシーンを安定した演技で引き締めている。平田昭彦は、最初のゴジラ映画『ゴジラ』(54年)でゴジラを葬った芹沢博士や、カルト特撮ドラマ『愛の戦士レインボーマン』(72年)の死ね死ね団首領でマニアには超有名であり、東京大学出身らしく知的な、それでいて陰のある役が実に似合う俳優だ。小山明子は、言わずと知れた故・大島渚夫人の正統派美人女優である。

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