>  >  > 宇多田ヒカルは日本の音楽をどう変えた?

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宇野維正『1998年の宇多田ヒカル』(新潮社)

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】

 2010年に「人間活動」のため長く音楽業界から離れていた宇多田ヒカルがついに帰ってくる。

 先日、4月から放送されるNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』の主題歌を宇多田ヒカルが担当するとのニュースが報道された。この楽曲をもって、彼女は本格的な音楽活動を再開すると見られている。活動休止中もラジオ出演や、配信シングル「桜流し」の発表など断続的な活動はあったものの、本格的な活動は6年ぶりだ。

 長い間復活を待望されていた宇多田の新しい展開に音楽ファンから喜びの声があがる最中、偶然のタイミングで『1998年の宇多田ヒカル』(新潮社)という本が出版され、大きな話題を呼んでいる。著者は、「ROCKIN'ON JAPAN」(ロッキング・オン)、「MUSICA」(FACT)といった音楽雑誌編集部を経て、現在は映画・音楽ジャーナリストとして活動する宇野維正氏。宇野氏はこの本のなかで、宇多田ヒカルが音楽シーンに与えた影響、そして、彼女がシングル「Automatic/time will tell」でデビューした「1998年」という年はJ-POPにとってどれだけ特異な年であったかということを分析している。

 宇多田が世間に出た1998年、それは、我が国で最もCDが売れた年であった。この年のCDの総生産枚数は4億5717万3000枚、総売上金額は5878億7800万円にもおよんだ。2014年の総生産枚数は1億7038万3000枚、総売上金額は1840億8800万円にまでシュリンクしてしまっていることを考えると、どれだけこの年の音楽業界がビジネス的に大きな影響力をもっていたかということがよく分かるだろう。

 そんな年にデビューした宇多田は、翌年発売したアルバム『First Love』で国内外合わせると約1000万枚にもおよぶ、未来永劫破られることはないであろうセールスを記録したのはご存知の通り。ちなみに、14年のアルバム年間売り上げ1位は、AKB48『次の足跡』で104万枚、15年は嵐『Japonism』で98万枚。このデータからも、0の数がひとつ違う『First Love』がどれだけすごかったかがよく分かるだろう。

 このようにエポックメイキングな記録を打ち立てた宇多田ヒカルだが、彼女が音楽シーンに大きな影響を与えたのは、超人的な売り上げ枚数だけにとどまらない。彼女は音楽業界の構造をも変えてしまったのだ。

 そのひとつが、音楽制作におけるシステム上の変化だ。宇多田が登場する直前、ヒットチャートを席巻していたのは小室哲哉だった。この時代、小室を筆頭に、相川七瀬、ZARDなどを手がけた織田哲郎、SPEEDを手がけた伊秩弘将など、「プロデューサー」が音楽制作の軸となり、また、彼らのような人物が単なる裏方の音楽職人にとどまらず、メディアにも積極的に出る時代でもあった。

 それが、宇多田の登場を分水嶺に大きく変わる。小室は最近自分のキャリアを振り返る時にしばしば「宇多田ヒカルちゃんが僕を終わらせたって感じですね」と述懐しているが、まさに彼女の登場がこの「プロデューサー」ブームを終わらせる決定打となった。

 また、1998年は、宇多田のほかにも、椎名林檎、aikoといったゼロ年代からテン年代のJ-POPシーンで第一線に立ち続けるシンガーソングライターがデビューした年でもある(ちなみに、前年の97年、邦楽ロックシーンでは、後のバンドに大きな影響を及ぼす、NUMBER GIRL、くるり、SUPERCAR、中村一義の通称「97年世代」がデビューしている)。

 この流れで、音楽業界の潮目はニューミュージック時代に続き、再び「自作自演」の時代となった。事実、椎名林檎は「MUSICA」(FACT)2007年8月号のインタビューで「いつの間にか、曲を自分で書いてる方が偉いみたいな」というインタビュアーの質問にこう答えている。

「ちょうどそうなった時期が、私がデビューした時期だと思いますね、ミュージシャンを神格化するっていうか、自分で曲を書いてるから内容のある歌手みたいな。それが本物みたいなね(笑)。本物/偽物みたいなことをすぐ言うようになりましたよね」

 この、自作自演か否かによって「本物/偽物」を分ける考え方は、その後のアイドル・アニソンの隆盛により多少の揺らぎはあるものの、基本的には変わっていない。そして、その時代の価値観をつくりだした中心にいたのが、宇多田ヒカルであったのは疑いようのない事実だ。

 ただ、そのなかでも宇多田が特異だったのは、彼女は作詞・作曲のみならず、楽曲制作におけるありとあらゆる権利を自分の手に握っていたことだ。

〈日本でデビューするにあたり、所属事務所となるU3 MUSIC(社長・宇多田照實)から東芝EMIサイドに提示した条件の中には、宇多田ヒカルが自由に音楽制作をできる環境を作ること、また彼女は自由に曲や歌詞を作り、そのできあがったものに対しては第三者が手を加えないこと、という条件があった〉(『点-ten-』/EMI Music Japan・U3 MUSIC)

 宇多田はデビュー時からクリエイティブ面に関して、完全な自由を獲得する。このような権利をキャリア初期から獲得していた特殊なミュージシャンの例として、他にプリンスがあげられるが(プリンスはあまりに大きな「自由」を手にし過ぎたがゆえにセールス面で自滅する時期があるのだが、それはまた別の話)、宇多田はそれに匹敵するほど大きな権利を得る。

 彼女はこの権利を後ろ盾に、キャリアを重ねて行くにつれ、どんどん自分一人で作品をコントロールするようになっていく。彼女の楽曲においては、バックコーラスの声も、多重録音によりすべて宇多田本人が歌っているというのは有名な話だが(同様の制作システムを導入しているミュージシャンに山下達郎がいる)、この他にも、彼女はアルバム制作を重ねるにつれ、アレンジからプログラミングにいたるまですべての音を統括するようになっていくのである。

 キャリア初期から作詞・作曲は自らの手によるものだったが、編曲に関しては外部に任せていた宇多田ヒカル。しかし、2枚目のアルバム『Distance』に収録されていた楽曲「DISTANCE」を壮大なバラードにアレンジし、8枚目のシングルにもなった「FINAL DISTANCE」以降、彼女は編曲面の仕事にも大きく関わるようになっていく。そして、04年発表の「誰かの願いが叶うころ」以降は、ほぼすべての曲で彼女が単独で編曲を行うようになった。そのことにより、「新世代R&Bの歌姫」といったデビュー当初盛んに喧伝されたジャンルの枠組みにはおさまらない固有の作風を築いていくことになる。それは、クリエイティブに関する権限をすべて手に入れるという、これまでの音楽業界の慣例から見れば異例な権利を持ち得たからこそもたらされたものだった。

 1998年に彼女がデビューして以降変えたものは、音楽業界のトレンドだけにとどまらない。彼女は音楽メディアのあり方も大きく変革させた。たとえば、昔懐かしい8センチ短冊シングルが消滅するきっかけをつくったのも彼女だ。現在は、シングルもアルバムと同じ12センチに統一され、若い世代には8センチCDを見たことがない人も多いというが、その変化は宇多田ヒカルがもたらしたものだった。

 彼女のデビューシングル「Automatic/time will tell」は8センチと12センチ、両方の形態で98年12月にリリースされている。これまでも同年2月リリースのMISIA「つつみ込むように...」など、12センチと8センチを両方発売することはよくあることだったが、「Automatic/time will tell」で特徴的だったのは、12センチ盤の方が8センチ盤よりも売れたということだ。それまでは普通8センチの方が売上が良いものだった。しかし宇多田の場合は逆だったのだ。「Automatic/time will tell」は255万枚のセールスを記録している。この作品が、各レコード会社にシングルのフォーマットを変えるきっかけとなった。

 また、彼女は音楽雑誌をはじめとした音楽を伝えるマスコミ媒体の終焉をも用意した。これまで音楽雑誌は、インタビューなどによりミュージシャンの言葉を伝えるために存在していた。しかし、ブログやSNSなどを通じ、ミュージシャン本人が生で自分の言葉を伝える場ができてしまえば、その価値は著しく減衰する。宇多田はコンピューター上にそのような場所を設けるのがかなり早かったミュージシャンのひとりだ。公式サイト上にあるウェブ日記「Message from Hikki」は99年の時点でもうスタートしている。

「音楽雑誌」というメディアは、折からの出版不況も相まって、今や死屍累々の状態だ。「CROSSBEAT」「blast」(ともにシンコー・ミュージック・エンタテイメント)、「snoozer」(リトルモア)、「remix」(文芸社)など、多くの人気雑誌が休刊していった。そのパラダイムシフトを用意したのもまた宇多田ヒカルであったのだ。

 以上述べてきたように、98年という史上最もCDが売れていた時代に登場し、おそらく永遠に破られることのない売り上げ記録を打ち立てた宇多田ヒカルは、ただ単に CDを売りまくっただけでなく、音楽業界において抜本的な変化の波をいくつも生みだしていったのだ。そして、これ以降、宇多田ヒカルがもたらしたようなパラダイムシフトが起きることはなかった。2016年の現在も1998年に起きた変化の延長線上で音楽業界は動いている。

 ただ、ここで宇野氏は宇多田ヒカルが復活するにあたり、ひとつの危惧を指摘する。それは、宇多田不在の時代にCDの売上が決定的に悪くなり、音楽ビジネスの主軸が「ライブ」「フェス」になったという変革が起きているということだ。実は、宇多田ヒカルは活動休止前、業界人向けコンベンションや公開収録ライブまで含めても、これまでのキャリアでたった67回しかライブをしたことがない。彼女は典型的な「スタジオの音楽家」だったのである。

〈宇多田ヒカルという音楽家の特異性を踏まえた時に、不安要素はもう一つある。
 2010年代に入ってから、音楽シーンは完全に「興行の時代」「フェスの時代」となった。それは日本だけの話ではない。むしろ、日本より早くCDのマーケットが壊滅状態となった欧米の方がよりライブに比重が置かれている。そんな時代に宇多田ヒカルは、これからも「スタジオの音楽家」であり続けるのか? それとも「17年間で67回」というこれまでのライブ・アーティストとしてキャリアを覆すような新たな一歩を踏み出すことになるのか?
 2016年の宇多田ヒカルは、復活と同時に大きな岐路に立たされることになる〉

 宇野氏の指摘する通り、「FUJI ROCK FESTIVAL」「SUMMER SONIC」「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」などの夏フェスが完全に夏の年中行事として定着したいま、山下達郎、井上陽水、矢沢永吉などの大ベテランですら夏フェスの場に積極的に出るような時代となった。また、新人バンドにとっては、このようなフェスで与えられる30分足らずの出演時間でオーディエンスを掌握できるか否かがバンドのキャリアの命運を大きく分けるようになっている。

 このような状況もあり、最近は、フェスの場で最も即効性を持つ高速ダンスビート、いわゆる「四つ打ちダンスロック」の楽曲を押し出すバンドばかりになってしまった(KANA-BOON、キュウソネコカミ、フレデリック、KEYTALK......etc)。この状況には音楽ファンの間でも不満の声が漏れており、オーディエンスが多様な音楽に触れることを目指して始まったはずの「フェス」が、逆に音楽の画一化を進める皮肉な結果にもなっている。

 しかし、ひょっとしたら、宇野氏らの危惧とは裏腹に、宇多田ヒカルの復活は、煮詰まった「ライブ」「フェス」の現場を根本から変えるきっかけになるのではないだろうか? 前述したように、宇多田ヒカルというミュージシャンは自分ひとりの力だけで確固たる音楽をつくりだせる人である。そして、音楽業界のトレンドに合わせて楽曲をつくることはないし、レーベル側からそれを強制されても突っぱねる権力を持っている。

 ここ数年で完成されてしまった「興行」「ライブ」「フェス」に関する悪しき慣例に染まっていない宇多田ヒカルのライブシーンへの登場は、それを変えるきっかけとなっても不思議ではない。

 また、これも前述の通り、宇多田ヒカルは、CDのフォーマットを変えたり、早くからインターネットを取り入れた活動を展開したりと、最新のメディアをうまく使いこなしてきた人でもある。CDが売れなくなり、時代はデジタル配信、そしてストリーミングへと次々と移り変わっていく昨今。彼女の出す次の一手が日本の音楽ビジネスを救うものになる可能性も十分にあるだろう。彼女が1998年に起こした革命が2016年にも起きる。宇多田ヒカルの復活にはそれを期待したい。
(新田 樹)

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