>  > 【覚せい剤】電波に命令されて6人を殺害!

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深笛義也

 元プロ野球選手の清原和博が、覚せい剤所持容疑で警視庁に逮捕される前、「代償」というタイトルでブログに書き綴っていた内容は、覚せい剤依存による妄想の有様を如実に現していたといえるだろう。

 内容をかいつまんで説明すると、こうだ。

 清原が知人と食事していたところ、店に入ってきた2人の客が清原に気づきその中の1人が何度も、自分を笑いながら指を指してきたように思えた。ぶち切れそうになりながらも、歯を食いしばって我慢したが、「やっぱり、あかん!」と手元の灰皿をたたき割った。

 このブログでは清原はケンカを我慢したことが綴られているが、覚せい剤依存が重くなると、止まらない妄想が原因で殺人にまで至ってしまうケースも珍しくない。


■ある覚せい剤依存症の殺人鬼の証言

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画像は、『深川通り魔殺人事件 (文春文庫)

「心理的電波・テープによる男と女のキチガイのような声に、何年ものあいだ毎日毎晩、昼夜の区別なく、一瞬の休みもなく、この世のものとは思えない壮絶な大声でいじめられ続けたことが、原因なのであります」

 犯行に至った経緯を、奇妙な言葉で法廷で語ったのは、川俣軍司。昭和56年6月17日に、6人の死傷者を出した深川通り魔殺人事件を起こした男だ。作家の佐木隆三が書いた『深川通り魔殺人事件』(新風舎文庫)は、テレビ朝日系の「月曜ワイド劇場」でドラマ化された。


■深川通り魔殺人事件 川俣軍司が狂うまで

「俺は日本一の板前になる」

 中学を卒業した川俣が、希望を抱いて銚子から東京に出てきたのは、昭和42年3月末。築地の鮨屋に住み込みで働き、見込みがあるとも言われていたが、その店を3年半で辞めた。

 そこから、転落の道を辿り始める。

 昭和46年6月、恐喝罪により東京地裁で懲役2年執行猶予3年の判決を受ける。昭和47年3月、暴行傷害事件により東京簡裁で罰金3万円の判決。昭和47年9月には、やはり暴行傷害事件で、東京地裁で懲役10カ月の実刑判決を受け服役した。出所後の昭和51年7月に、暴力行為など処罰に関する法律違反、脅迫罪により、東京地裁で再び懲役10カ月の判決を言い渡された。


■覚せい剤を使用し「電波・テープ」と交信するように

 昭和52年4月に出所した川俣に手をさしのべたのは、父親だった。自分の仕事である“しじみ掻き”を継がないかと誘ったのだ。最初の頃は身を入れて働いていたが、両親に暴言を吐くようになった。この頃から、覚せい剤を始めていたのだ。

 その後も事件を起こし、昭和54年と昭和55~56年、いずれも府中刑務所で服役している。

 昭和56年4月21日に出所すると、川俣は兄に電話する。

今回の懲役ほど、苦労したことはなかった。親兄弟までグルになって、俺をいじめるとは思わなかったが、おかげで電波・テープにひっつかれた。俺は黒幕から、麻酔を注射して殺される。その前にいっそ、舌を噛んで死んでやるが、それでも兄貴は平気か?

 不気味に思った兄は、川俣に会って4万円ほど渡すと、「家には絶対に近づくな」と釘を刺した。

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