>  > 「SMAP騒動後、メリー喜多川氏と会って…」元文春編集長・花田紀凱

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【元「週刊文春」編集長、月刊「WiLL」編集長の花田紀凱VS国際暗黒プロデューサー・康芳夫! 暴走老人対談企画 第三弾】

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■過激な誌面で時代を築いた《文春関東軍》の時代

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左が花田氏、右が康氏

 2016年初めからスクープ連発で突っ走る現在の『週刊文春』は、今の出版界に於いては《過激》の名をほしいままにしているが、康芳夫の目には、多士済々のメンバーを揃えて日本中を席巻した花田編集長時代の『週刊文春』が焼きついているようだ。今回は、1980年代から1990年代にかけて、あらゆるタブーに挑み続けた《文春関東軍》の時代を、その張本人である花田紀凱と振り返ってゆく。

康芳夫(以下、康)「しかし花ちゃんが『週刊文春』にいたあの頃はいろいろあったねえ。僕は《文春関東軍》ってアダ名を付けたんだよ。総司令官が社長の田中健五で、副司令が堤(堯)くんね。前線守備隊長が花田くんだ。その下に勝谷(誠彦)くんっていうのがいたの。当時は入ったばっかりだったけど、今や錚々たる売れっ子ライターだ。その上にミスターNってのもいたな」

花田紀凱(以下、花田)「西川(清史)ですね。いま彼は文藝春秋の専務ですよ」

「今や彼がナンバー2だよ(笑)。花ちゃんが一番かわいがってた男がね、今や文芸春秋の“ナンバー2”だよ」

「西川は僕と10歳違うから、僕もさすがに“オマエが専務かよ”って言いましたけどね(笑)。でも彼は“切った張った”は向いてないんだけど、エロとかがもの凄い好きなんですよ。それに筆がもの凄く立つ。ピンサロのルポなんて書かせたら、滅茶苦茶上手いんだから」

――ピンサロのルポが上手い専務!(笑)

「そうそう(笑)。仕事も凄いできるヤツで、文春では一番、写真なんかのビジュアルに詳しかったね」

「僕も彼にはパーティではしょっちゅう会ってるんだけどね、ある日彼が“康さん、驚かないでください、僕取締役になりました”って言うんだ。その次に会うとまた来てね、“驚くべきことに、僕、常務になりました”って言うんだよ。もう“ホントかよ、オマエ”ってなったけどね(笑)」

「あとは関西人でね、彼は広告をずっとやってたから、広告を取ってきたり、広告業界の人と付き合うのは向いてると思う。あとは……これはあんまり言わない方がいいかな……まあいいか(笑)、こういう仕事やってるといろんな広報の人と知り合ったりするじゃない。彼は買い物で伊勢丹行って、関西人だから“負けろ”って言うのよ。普通デパートで言えないじゃない?」

――特に伊勢丹ですからね。

「デパートなんだから普通はどこでも言えないよ! それで当然断られるたんだけど、彼はそこで“広報の××さん呼んでくれ”って言うの。それでそのまま負けさせるっていう、なんていうのかな……」

――商売根性ですね。

「そう、でもそういうのは専務としていいのかもしれないよね、商売っ気があって」

「それを花ちゃんは本当に腹心としてかわいがっててね、勝谷くんがその下で守備兵だったんだ」

「勝谷なんてホントにその頃はペーペーですよ。その頃僕はね、編集長じゃなかったんだけど、『エンマ』って写真雑誌をやってたの。『フォーカス』『フライデー』が売れてたんで文春も写真雑誌作ったんですよね。その雑誌の編集長が松尾さんっていう『スポーツグラフィック・ナンバー』なんかを考えた人なんです。僕はその頃『週刊文春』にいたんだけど、編集長と合わなくて、特集しかやったことないのにグラビアのデスクやらされてたの。“まあ写真好きだからいいや”なんて思ってて、その時に僕の下に西川と勝谷がいたんです。そうしたら、“写真誌を作るぞ”ってなって、自分でいうのもなんなんだけど、その時の『週刊文春』のグラビアはおもしろかった。“毎週週刊文春のグラビアに何が出るか楽しみだ”って言われてたんですよ。でも松尾さんっていうのは、グラビアを作ったりそういうことに向いてない人だったから、僕を呼んでグラビアページをやらせたんですよね。それはもう、僕らは無茶苦茶やりましたよ。あれは1985年だからいろんな事件があったしね。三浦和義逮捕とかね、夏目雅子も死んだしね、日航機事故、阪神タイガース優勝とかね」

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