>  >  > 200人以上...!? 脱出不可能な「殺人ホテル」

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※イメージ画像:『HARPER’S』

 第88回アカデミー賞で、悲願のオスカー像を手にしたレオナルド・ディカプリオ。『タイタニック』が世界中で大ヒットして以来、日本でも人気、知名度が高く、次にディカプリオがどんな作品に出演するのか、気になるファンも多いことだろう。

 俳優だけでなく、映画プロデューサーの顔も持つディカプリオは、2010年に、ある作品の映画化権を自ら購入している。それは19世紀のアメリカに実在した人物のノンフィクション小説で、『シャッター・アイランド』や『ウルフ・オブ・ウォールストリート』でタッグを組んだ名匠マーティン・スコセッシ監督と、映画化に向けて動き出しているそうだ。

「私は悪魔と共に生まれてきた。
 そして、私は常に悪魔と共に過ごしてきたんだ」

 この言葉を残した人物こそ、ディカプリオが映画化を望んだ、ヘンリー・ハワード・ホームズだ。表向きは、巨大なホテルを経営する若き実業家、しかし、ホームズの一生は嘘と血で塗り固められ、近づいた人たちを次々と地獄へ引きずり込んだ真性サイコパスだ。近代アメリカの犯罪史で、最初のシリアル・キラーとされているH・H・ホームズとは、いかなる人物だったのか? その血生臭い軌跡を辿っていこう。


■過酷なドメスティック・バイオレンスとイジメの日々

 1861年5月16日、後のH・H・ホームズは、ハーマン・ウェブスター・マジェットとしてニューハンプシャー州で誕生した。農業で子供たちを養う両親は、敬虔なメソジストだった。メソジストとはキリスト教の宗派のひとつで、規則正しい生活を美徳とするのが特徴だ。だが、信仰に反して父はアルコール依存症であり、酒に飲まれ、頻繁に家族へ暴力を振るった。

 幼いハーマンの悩みはドメスティック・バイオレンスだけではなかった。周りの子供たちよりも、ずば抜けて頭が良かったため、通っていた学校では学友たちから妬まれて壮絶なイジメを受けていたのだ。肉体的にも精神的にも逃げ場のない生き地獄の中で、後の彼の人生を大きく左右する出来事が起きる。

 ある日、イジメっ子たちはハーマンを連れて、人気のない地元の病院へ忍び込んだ。小心者のハーマンが怖がるところを見て、楽しもうとしたのだ。彼は病院内にあった人体の骨格模型と対面させられ、骨の手を顔面に乗せられた。

「最初はとても怖かった。だけど、しばらくすると自分が人骨に興奮している事に気付いたんだ」

 この体験がきっかけとなり、ハーマンは「死」について興味を覚える。そして、小心者のイジメられっ子は、人知れず動物の解剖を行うようになり、屈折した欲求を満たしていった。

コメント

1:匿名2016年5月12日 06:16 | 返信

海外のサイコパスはスケールがでかいね

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