>  > 【緊急寄稿】モハメド・アリは「イスラム国」と欧米勢力の和解を仲介する予定だった!?

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康芳夫

 プロボクシングの元世界ヘビー級王者モハメド・アリ氏が6月4日、アメリカ・アリゾナ州の病院で死去した。74歳だった。

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後楽園ジムにて。1972年の日本武道館でのモハメド・アリ対マックフォスター。後楽園ジム アリ練習風景。右が康芳夫。


 アリといえば、国際暗黒プロデューサーである康芳夫を思い出す日本人も多いだろう。自らイスラムに入信し、1976年に両国国技館で行なわれた世紀の一戦(凡戦とも言われたが)『アントニオ猪木vsモハメド・アリ戦』をプロデュースした人物だ。

 そんな康芳夫がトカナに以下の追悼文を緊急寄稿した。そこで語られた知られざるアリの素顔とは――?

【以下、康芳夫の文】

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猪木VSアリ

 ムハマッド・アリの突然の死に関しては、オバマ大統領のステートメントをはじめとして、世界中のメデアが報じている通りだが、小生の心にも突然大きな穴がポッカリあいた感じである。

(1972年、日本で初めてアリのボクシングの試合“対マック・フォスター戦”プロデュースしたことについて)今を去る1972年4月1日武道館において、僕はそれまでの人生すべてをかけて、極東初のヘビー級ボクシング試合を実現した。小生33才、そしてこのイベントはその後の僕の人生を大きく変える事になった。いわゆるアリ・猪木戦はそれから4年後に実現したものだ。

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1972年の日本武道館でのモハメド・アリ対マックフォスター/後楽園ジム アリ練習風景

 一番残念なのは、その後当時企画していた「ウガンダ大統領であるアミンVS猪木戦(アリ氏をレフェリーに起用)」という異色の組み合わせが、ウガンダ内乱によって実現不可能になったことだ。このとき、アミンはサウジアラビアに亡命した。

 これに対して、今は亡き赤塚不二夫君は小生に対して、「もしこの戦いが実現していたら、直ちにマンガ家を廃業する」と宣言したものだ。そのくらい、このプロジェクトは衝撃的だったのだ。

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