>  > 元福島原発作業員・釣崎清隆の『シン・ゴジラ』評

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※注意 2頁目にネタバレあります。

――元福島第一原子力発電所作業員(以下、1Fマン)であり、死体映画監督でもある釣崎清隆による『シン・ゴジラ』評

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画像は、映画『シン・ゴジラ』公式サイトより

 映画時評『ファイト批評』(洋泉社)で共著したアイカワタケシからのメールに促されて『シン・ゴジラ』を観に行った。

 12年前までの国産ゴジラでは、のきなみ訳の分からない新兵器でゴジラが倒されており、根本的に時代の産物であったゴジラのリアリティに正面から対峙するものではなかった。それに比べて、『シン・ゴジラ』はヒトの手でゴジラを倒すことができるという手応えがある映画であった。


■これまでのゴジラはリアリティに向き合っていなかった

 リアリティに正面から対峙しないゴジラは第1作目においてもしかりである。戦後という怨念が具現化した大怪獣ゴジラは「オキシジェン・デストロイヤー」(水中の酸素を破壊する兵器)などで倒せる相手では断じてない。ゴジラの圧倒的な力の前では、シリーズを通して全面協力している自衛隊の作中における活躍も余計にむなしくうつる。

 だがこれまでのゴジラ作品とは違い、『シン・ゴジラ』は、福島第一原発における自衛隊員や原発作業員の英雄譚がいまだ表に出てこない中、原発の裏で作業する者たちに目を向け、原子力戦争の“リアリティ”に近付こうとしていた。

 にもかかわらず、大概の批評は政治的リアリティや憲法問題に焦点を当てているものばかりだ。確かに自衛隊の運用問題は時代に沿った重要なテーマではある。しかし、クライマックス以前の象徴化された政治的リアリティは歴代ゴジラシリーズにも存在していたし、だからこそ戦後日本映画の金字塔たりえた。

 ゆえに、『シン・ゴジラ』の真価は、クライマックスまでの内容ではなく、クライマックスそのものにあると断言する。それは元1Fマンとしての経験から言える観点でもある。

※注意 2頁目にネタバレあります。

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