>  > 21人を毒殺した英国史上初の連続殺人鬼「黒未亡人」

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 テッド・バンディ、アンドレイ・チカチーロ、ジョン・ウェイン・ゲイシー、津山事件の都井睦雄。思い浮かべてみると、世の中を震撼させたシリアルキラー(連続殺人鬼)は男ばかりである。実際、統計的に見ても女性のシリアルキラーは少ない。しかし、記録に残されているイギリス初のシリアルキラーは女性であったという。


■夫、我が子、母、友人など21人を毒殺

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メアリー・アン・コットン 画像は「Wikipedia」より

 イギリス初の連続殺人犯であるその女は、1873年に絞首刑となったメアリー・アン・コットン。かわいらしい名前とは裏腹に、自分の子どもや3人の夫などを含む21人を殺害したとされる驚異のシリアルキラーである。2012年に出版された犯罪学者のデビッド・ウィルソン氏の著書で取り扱われてから、たびたびイギリスでは話題にのぼってきているメアリー・アン・コットンの事件の全容を「Daily Mail」紙がレポートしている。

 1832年に生まれ、通称「ブラック・ウィドー(黒未亡人)」とも呼ばれるメアリー・アンは、ヒ素を使って3人の夫、13人中11人の自分の子ども、夫の連れ子、自分の母親、友だちなど計21人の毒殺を行ったとされている。「されている」という言い方になるのは、実際彼女が絞首刑となった直接の罪は、彼女の最後の夫であるフレデリック・コットン氏の連れ子であった7歳になるチャールズ君殺害の罪によるもので、当時の事件調査によって21人の殺害が明るみに出たが、実際それ以上の殺人を行っている可能性もあるためである。

 メアリー・アンの最初の結婚相手は、1852年、彼女が20歳の時で炭鉱労働者のウィリアム・モーブレー氏であった。結婚後、生まれ育ったイギリス北西部を離れ南西部のプリマスに引っ越したが、すぐに北西部に戻り3人の子どもを授かった。

 メアリー・アンの告白によれば、最初の子どもが最初の犠牲者であったという。続けての2人目、3人目の子ども、そして夫を殺害した後に、彼女は死亡保険金を受け取り、犯罪の痕跡から逃げるようにイギリス北西部を転々とする生活を始めた。

 1865年には2人目の夫となるジョージ・ウォード氏と、1866年には3人目の夫となるジェームズ・ロビンソン氏と結婚し、1870年に最後の夫となるフレデリック・コットン氏と結婚する。

 3人目の夫であったロビンソン氏は、メアリー・アンが彼を死亡保険に加入させることに執着したために彼女の言動を疑ったあげくに追い出した。結果、彼女に殺されることはなかったが、離婚は成立しておらず、メアリー・アンとコットン氏との結婚は重婚になっていた。また、法律上の夫以外にも複数の恋人がいたことも、その恋人との間に何人かの子どもがいたことも知られている。

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1873年の逮捕時にメアリー・アンが暮らしていた住居 「Daily Mail」の記事より

 彼女の犯行が明るみに出たのは、最後の夫の連れ子であった7歳になるチャールズ君の死後に保険金の請求をした際、不審に思った検視医師が死体からヒ素を検出したことによるものだった。彼女が逮捕された時には、彼女は天然痘患者の看護師をしており、その患者との間にできた子どもを妊娠中であった。死刑判決を受けた後も、妊娠、出産などを理由に刑の執行が延期されたが、1873年の3月5日に絞首刑となった。

コメント

1:匿名2016年10月 3日 14:26 | 返信

特別美人てわけでもなく、普通のおばちゃんて感じだけど、よく二回も再婚できたな。

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