>  >  > 三島由紀夫、幻の「皇居突入計画」とは!?

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■日本刀を持ち自衛隊駐屯地に乱入

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画像は「Wikipedia」より引用

 天才作家・三島由紀夫が壮絶な割腹自殺を遂げてから、すでに46年が経とうとしている。1970年(昭和45年)11月25日、三島は自ら結成した民間防衛組織「楯の会」メンバー4人と共に、自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入。人質を取って立てこもった。三島は、憲法改正のために自衛隊員の決起(クーデター)を呼びかけたが、失敗。その後、彼は「天皇陛下万歳!」と叫んで割腹し、「楯の会」メンバーに介錯させて絶命した。45歳だった。石原慎太郎の著書『わが人生の時の人々』(文藝春秋)のなかで、「ある新聞の一面には薄暗い室内の床に転がる血みどろの三島さんの首までが写っていた。」と記されていることから、現場の壮絶な様子が伝わってくる。

 三島はなぜ、このような大事件を起こし、自らの命を断つ必要があったのだろうか? この事件を紐解くためには、まず、遠因となった二・二六事件を語らねばなるまい。


■二・二六事件で処刑された青年将校の怨念

 二・二六事件とは、1936年2月26日早朝、陸軍の青年将校に率いられた約1,500人の反乱部隊が決起して首相官邸などを襲撃、政府要人を暗殺したクーデター未遂事件のことである。

 青年将校たちの目的は「君側の奸(くんそくのかん)」、つまり天皇を利用して悪政を行う者たちを排除し、天皇中心の新たな政治体制を築き上げることだった。つまり彼らは、「昭和維新」を断行しようとしたのだ。

 だが、昭和天皇の断固とした態度により、彼らは反乱部隊として鎮圧されることとなる。「逆賊」として処罰され、事件の首謀者とされる青年将校たちは処刑されたのだった。


■青年将校たちの怨霊によって書かれた『英霊の聲』

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獄中手記』(中央公論新社)

 二・二六事件の首謀者である青年将校・磯部浅一が処刑を待つ間、獄中で記した『獄中日記』がある。三島は、この『獄中日記』を読み、それに影響されて短編小説『英霊の声』を執筆した。そして三島は、『英霊の聲』の執筆中に奇妙な体験をしている。夜中、手が勝手に動き出し、いわゆる自動書記状態で文章を書いたというのだ。

 三島と親交が深かった美輪明宏が、割腹事件の直前、三島の背後に磯部浅一の霊が取り憑いていたと霊視している。美輪は、あの手この手で霊を祓おうと試みたが、ものすごい力を持った怨霊のため、どうやっても取り去ることができなかったという。

 このように、磯部浅一の霊が憑依して書き上げられたとされる『英霊の聲』は、神霊的な要素が強いオカルト小説だ。その内容は、古神道の霊媒である神主の降霊術によって、盲目の美少年の審神者(さにわ)に降霊した英霊たちの言葉を書き記した形となっている。降霊したのは、二・二六事件で銃殺刑となった青年将校と、神風特攻隊員の霊であった。天皇に殉じた彼らは、「神であらせられるべき天皇がなぜ神格を否定されたのか?」という憤りを感じているのだった。すなわち、戦後の天皇の「人間宣言」により、「我々の至誠は裏切られた」と、無念を語っていたのだ。

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英霊の聲』(河出書房新社)

 この「人間宣言」とは、1946年(昭和21年)1月1日に発せられた詔書の通称である。このなかには、昭和天皇が自らの神性を否定した内容が含まれている。しかし、そもそも「人間宣言」は、当時の日本を占領していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が昭和天皇に迫って発布させたものであるという。「人間宣言」の直前、GHQは「神道指令」により国家神道を廃止させている。つまり、次なる段階として天皇自身に神格を否定させることで、日本人の大和魂を骨抜きにしようとしたのだ。これも日本人の洗脳支配計画の一環だったのだろう。

 三島由紀夫による『英霊の聲』は、戦後の天皇制を批判する問題作として物議を巻き起こした。

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