>  > 2007年のプーチン「ミュンヘン演説」予言的中

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 優れたトップリーダーに求められる能力のひとつが、物事の先の先を鋭く見通す先見性だ。ロシアのトップリーダーであるプーチン大統領もまた、きわめて優秀な先見性を備えており、もはや予言者レベルだと話題のようだ。


■2007年の「ミュンヘン演説」とは

 1991年のソ連崩壊、すなわち米ソ冷戦終結後に初めてロシアのトップリーダーが西側諸国に対して歯に衣着せぬ見解を示したスピーチであるといわれているのが、2007年にドイツ・ミュンヘンでプーチン大統領が熱弁をふるった「ミュンヘン演説」である。

 2007年2月10日、ドイツ・ミュンヘンで開かれた「第43回 ミュンヘン国防政策国際会議(Munich Conference on Security Policy)」で、プーチン大統領はドイツのメルケル首相をはじめとする西側諸国のリーダーたちを前に1時間14分にも及ぶスピーチを行った。いわば完全な“アウェイ”にもかかわらずアメリカの世界戦略を強く批判し、アメリカを中心とした世界の一極支配体制にはっきりと反対を表明したこともあり、これが後にプーチン大統領の「ミュンヘン演説」と呼ばれ歴史に刻まれることになる。

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「ミュンヘン演説」中のプーチン大統領 画像は「Wikimedia Commons」より

 ソ連崩壊でロシアの人々はしばらくの期間、塗炭の苦しみを味わったといわれているが、ロシアのリーダーたちの中でも最もロシア再建に尽力した一人がプーチンであるといわれている。とはいえ有形無形の西側からの影響力がロシア国内に流れ込み、政治面でも経済面でもロシアの再建はきわめて難事業であった。2000年にプーチンが実権を握ってからは、国家再建が急ピッチで進み、主に旧東ヨーロッパ諸国への外交でも再び力を取り戻すことになる。

 しかしそこへ待ったをかけるように、アメリカをはじめとする西側の影響力が旧東欧諸国の人々にも及びはじめる。この動きを如実に象徴したのがウクライナ情勢だろう。ウクライナでは2004年にいわゆる“オレンジ革命”が起こり脱ロシア、反ロシアへと大きく舵を切ることになる。その後政界再編によって反ロシアの民主化勢力が主流派となり、2007年12月にはティモシェンコ内閣が発足して当面は磐石の体制かと思われた。

 プーチンの「ミュンヘン演説」はまさにこの直後、ロシアの手のひらからウクライナが離れてしまったばかりの頃であり、西側勢力に憤懣やるかたないという時期であっただろう。こうした背景もあり、2007年の「ミュンヘン演説」は自ずからテンションが上がるものになったようだ。

2007年の「ミュンヘン演説」 動画は「YouTube」より


■「アラブの春」とEUの激震を予見

 ではこの2007年の「ミュンヘン演説」でプーチン大統領はどんなことを語っていたのか。

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