>  >  > 山梨県に実在した最狂「姥捨て」習慣の実態

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画像は「Thinkstock」より引用

【日本奇習紀行シリーズ】 山梨県

 長い人類の歴史を紐解いてゆくと、得てして人間というものは、耐え難い苦痛をあえて選ぶことで、精神性の向上や神への接近を試みる生き物であることは明々白々の事実である。そして、我々が住むこの日本という国においては、かつてその典型であると同時に、一つの習慣ともいうべき、謎めいた儀式が存在していた。


「燃すの。燃す。人を燃す。生きてる人を燃すんですよ……」


 今回、我々の取材に対して、その重い口と閉ざされた心をようやく開いてくれたのは、山梨県のとある地域で生まれ育ち、現在は某市にある特別擁護老人ホームで余生を過ごしている山崎大三郎さん(仮名・94)。なお、山崎さんはご高齢で、かつ現在病床にあるということもあって、今回の取材に際しては、ごくごく短い時間での聞き取りとなったこと、また、時折訪れる意識の混濁により不明瞭な部分があった点を、読者諸兄においては予めご了承頂きたい。


「私もそうだけども……お迎えが近くなるとね、年寄りはみんな、若い人に、“燃してくれ”って言うんです。そう、生きてるんですよ。生きているのに、燃すんです。それはもう悲しくてね。だって自分の親やなんかを、生きたまま、燃すんですから……」


 深沢七郎の大ヒット小説『楢山節考』でも描かれていたように、かつて、日本の寒村では、飢饉や不作が起きると、少しでも食料の消費を抑えるという目的から、「働き手」になりにくい高齢者を、人里離れた山や森に「捨てる」行為が慣習化していた。こうした「姥捨て」の要素を持つ習慣は、今でこそ行われてはいないものの、その実、日本の一部地域では昭和初期まで行われていたという話も存在しており、山崎さんの話を聞くと、当地における「老人を燃やす」という習慣は、どうやらそうした「姥捨て」の一種であったのではないかと考えられるのだ。

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コメント

1:匿名2017年5月 2日 03:50 | 返信

口減らしに「焼殺」を用いるというあたりは、いかにもこのシリーズらしい荒唐無稽さ。
だが、冒頭から取材対象者の状態を説明したのはうまい。
これなら、ディティールがぼんやりしていても、老人の体調や記憶違いのせいにできる。
最後に死去を悼む一文を入れる演出も、工夫を感じて好印象。
ただ結局、老人が他の取材者と同レベルの饒舌にしか感じられないのは不満点。
読みやすさを重視したのかもしれないが、せっかく取材者のキャラクターを他の記事以上に書き込んだのだから、そこを活かしてほしかった。今後に期待。

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