>  > 『an・an』を超える勢いだったゲイ雑誌『Bʌ́di』の真実

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【新宿二丁目の最深部の一角に、昨年末、一軒のブックカフェがオープンした。場所柄からわかるように、近年ありきたりなロハス的カフェ・カルチャーの産物と侮るなかれ、その店名は「オカマルト」。当代一のドラァグクィーン、マーガレット嬢が店主を務める、、マーガレット嬢が店主を務める、正当な裏文化の巣窟を徹底インタビューするシリーズ】

第1回 店主と語るゲイとオカルトと切腹


【ゲイ雑誌バブルを生きた編集者=店主マーガレット嬢(小倉東)】

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オカマルト店内。脇にはたくさんの貴重なゲイ古書が並ぶ。中央は店主のマーガレット嬢

 ここでマーガレット嬢がその蔵書を集める契機となった時期にインタビューはさかのぼる。ブックカフェ「オカマルト」でゲイ・カルチャーの保全という命題に敢然と挑む同女史であるが、今を遡ること20余年前――出版界にその身を投じ、自らが創作者としてゲイ・カルチャーの最前線で活躍していた編集者であったのだ。


――改めてマーガレットさんが編集者になったあたりのお話をお聞きしたいんですけど、元々は確かヘアメイクさんだったんですよね?

マーガレット嬢「そうそう、ヘアメイクを10年やって、ちょっと腕を壊して、指が動かなくなっちゃったんで、そっちの仕事を断念したの。その時に、1990年代ゲイブームが起こったのよ。テレビで『同窓会』ってドラマ(1993年放送/斉藤由貴、西村和彦、高嶋政宏、山口達也らが出演しテレビドラマで初めて本格的に男性同性愛を扱った作品といわれている)をやったり、オナペッツがバラエティ番組に出たり、そういう全体的なブームの盛り上がりがあった。そんな時に、ゲイ雑誌の編集の仕事を始めたの。ゲイ雑誌って特殊な流通を持っていて、刷り部数の半数、30,000刷ったら15,000部は、ゲイショップっていうポルノショップ的なところが買い取ってくれていたの」

 ここで少し出版業の形態を補足すると、一般的な書籍・雑誌はすべて取り次ぎと呼ばれる問屋を経由して流通されるために、どの商品も、返品の可能性を持っている。つまり、1万部を流通させたところで、その売り上げは返品可能な期間が終わるまでわからないということ。そのために出版物の原価率はその返本率を見越して設定されており、1冊も売れていない段階で返本率50パーセントというこの時期のゲイ雑誌を取り巻く環境は、商業的にあり得ないほど安定的なものなのである。


――半分が返品無いって凄いですね……。

マーガレット嬢「そうよ、しかもお店(主にゲイバー)の情報がネットに載ってない時代だったから、300ページくらいは広告が入ったの。だから総ページの2分の1から3分の1が広告。まあそれぞれの広告の単価は安かったんだけど、ページ6~8万円が毎月300ページ入るわけだから」


――広告費で1800万円!

マーガレット嬢「それが毎月入ってきて、買い取り分が1,000円の半分の500円が15,000部現金で入ってきて返品無し」


――えーっと……さらにプラス750万……!!

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オカマルトに置いてある本『薔薇族』創刊号(第二書房刊)

マーガレット嬢「そう、それが毎月の商売のベースとしてあったからね。その市場を独占してたのが『薔薇族』(第二書房刊)だったのよ。でも伊藤(文学薔薇族編集発行人)さんがああいう人だったから(※2度の結婚をした異性愛者)ゲイ側はイライラしてたんだけど(笑)、他にメディアがなかったからね。同じ思いをしていたテラ出版の社長さんが同じビジネスモデルで新雑誌を企画したんだと思う」


■ゲイ雑誌『Bʌ́di(バディ)』の立ち上げ

――ゲイ雑誌『Bʌ́di(バディ)』の立ち上げに編集として参加したんですね。

マーガレット嬢「それが1994年かな。その前に別冊宝島のゲイ三部作(『ゲイの贈り物』『ゲイのおもちゃ箱』『ゲイの学園天国!』)を編集・ライターとして出してて、それがご縁になったのかな。もともと宝島さんとは雑誌『CUTiE(キューティ)』で付き合いがあったりしたので。」


――当時は確か『CUTiE』で連載を持たれていたんですよね?

マーガレット嬢「そう、連載やってたのよ、ビューティーページを」


――その時はマーガレット名義だったんですか?

マーガレット嬢「本名の小倉東(おぐらとう)と平行してた時期かな。でもドラァグ・クィーンはもうやってましたね。そんなわけで、その宝島社の仕事を見てテラ出版が声をかけてくれたんです」


――いつ頃から編集長になられたんですか?

マーガレット嬢「最初は軽い気持ちだったんだけど、企画会議に出たら、先に決まっていた編集長や編集者たちが古くさくて売れそうに無い企画ばかり出していたの。こりゃ、ダメになるだろうと思っていたら、しばらくしてその人たちがいなくなることになったの。何があったか分からないんだけどね(笑)。そして、必然的に私がそこに収まって……。でも私も責任を負いきれないから、“編集長代行”とか、“スーパーバイザー”って肩書きでやってました 」

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