>  >  > LGBTブームの裏にある“ドス黒い陰謀”を「オカマルト」店長が暴露

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【新宿二丁目の最深部の一角に、昨年末、一軒のブックカフェがオープンした。場所柄からわかるように、近年ありきたりなロハス的カフェ・カルチャーの産物と侮るなかれ、その店名は「オカマルト」。当代一のドラァグクィーン、マーガレット嬢が店主を務める、、マーガレット嬢が店主を務める、正当な裏文化の巣窟を徹底インタビューするシリーズ】

第1回 店主と語るゲイとオカルトと切腹
第2回 『an・an』を超える勢いだったゲイ雑誌『Bʌ́di』の真実とマツコ・デラックス


■私は台湾生まれの中国共産党員の息子のホモで女装

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店長のマーガレットさん@オカマルト店内

――マーガレットさんもかなり不思議な生い立ちでしたよね?

マーガレット嬢「私、合いの子だからね。父だけ名字が『廬(ろ)』だったから、変だと思ってたのよ。私は母方の名字を名乗ってたんだけど、名前は『東』。毛沢東の『東』だったのよ(笑)」


――えーっ(笑)!!

マーガレット嬢「そうよ、兄なんか名前が『亮』で、それは諸葛亮孔明の『亮』だからね(笑)」


――孔明!(笑) もうガチガチの中国系なんですね……。

マーガレット嬢「父は台湾人だったのね。でも、思想的には本土の人で、台湾を捨てて中国共産党に入党したの。それから日本にやって来たらしい。ここからは彼も語らなかったしあまりよくわからないけれど、母曰く、父は《パスポートを持ってない人》だったんだって」


――完全にスパイじゃないですか(笑)。

マーガレット嬢「そうかもね(笑)。こっちに来てからは中華料理屋をやったり、会社を起こしたりしてたみたい」


――パスポート無しで会社起こせるんですか……?

マーガレット嬢「あはは、中国華僑をバカにしちゃいけないよ(笑)。わからないけど、きっと誰かが手配したんでしょうね」


――ネットワークでしょうね……。

マーガレット嬢「その後、父が病に倒れて寝たきりになって、家がもの凄く貧しくなった時期があったんだけど、その時は母親が中国に行って共産党からお金の無心してきたの」


――えーっ!?

マーガレット嬢「“党の仕事で日本に来てこんな状態になってしまって困っているので助けてもらえませんか?”ってことを伝えたんじゃないのかな。母親が中国着いて空港を出たらロールスロイスが迎えに来ていたって言ってたわ」


――えーっ、ちょっとそれ凄いスパイだったんじゃないですか!?

マーガレット嬢「いや、党としては送り込んだコマのひとつだったと思うのよ。でも、きちんとしておかないと“党としてメンツが立たない”からだとだと思うけどね。それでね、いくばくかの現金を貰って帰ってきたよ」


――へーっ、元ですかね。

マーガレット嬢「円じゃない(笑)? まあそんな感じで貧しい時代をなんとか凌いだんだけど、父親が死んだ時に母親が何をするよりも先に押し入れの奥に隠していた茶色いカバンを山に持っていって燃やしてきたっていうの」


――凄すぎますよ、その話(笑)。

マーガレット嬢「まあ子供だからわかんなかったけどね(笑)」


――もはや忍者が死ぬ時ですよ、それ……。

マーガレット嬢「だから私は台湾生まれの中国共産党員の息子のホモで女装。おまけに名前は毛沢東の東。そういう宿命を背負ってるのよ」


――凄い業だなぁ……。

マーガレット嬢「これぞオカルトよね」

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画像は、オカマルト店内に並ぶ貴重なゲイ古本

――ちなみに、マーガレットさんのゲイの目覚めはいつ頃だったんですか?

マーガレット嬢「それは幼稚園の頃からだと思う。思春期になって“男の子にドキドキするこの感情はいつから芽生えたんだろう?”って考えて、記憶をさかのぼってみたとき、“あれね”って気づいたの。その頃は家も多少はお金があったので、郊外に一戸建てを建てたの。両親は共働きで出かけちゃうから、子供の面倒を見る人が必要ってことで家庭教師と称して大学生に来てもらっていたの」


――幼稚園で家庭教師ってまた凄い羽振りいいですね……。

マーガレット嬢「その大学生のお兄さんに母が“いまお尻におできができてるから、あとで絆創膏貼り直してあげてくださいね~”って頼んで出かけていったんだけど、私、そのお兄さんの前ではパンツ脱ぐことができなかったの。あれは明らかに性的な羞恥心だったと思うのよ」


――お尻のおできっていいですね。

マーガレット嬢「おできがすべての始まりだった。今どうしてるんだろうね~、この記事みたら『トカナ』に連絡ちょうだい(笑)。その後の思春期以降は、ゲイだってことに悩んで手首は切るわ薬物には走るわでっていう時代がずっと続きましたけどね」


――ずっと東京での生活でしたか?

マーガレット嬢「神奈川県と東京かな。基本東京だったけど」


――まああんまり田舎いったら諜報活動しにくいですもんね。

マーガレット嬢「そうね(笑)。たまに横浜中華街に連れて行かれたりしました」


――活動でしょうね(笑)。

マーガレット嬢「情報交換をしてたんでしょうね。まあ父親とは折り合いが悪かったんだけど、今思えば“もう少し話をしておけばよかったなぁ”って思うよね。共産主義なはずなのに、死ぬ間際になったら『聖教新聞』とか『ものみの塔』とか、枕元においてたのよ。一人で寂しいから、相手してくれる人はみんな家に入れてたんじゃないかな?」


――スパイらしからぬ人間臭いエピソードですね……。

マーガレット嬢「もちろん『赤旗』もあったわよ(笑)。それを見た時に、なんか悲しいなって思った。人間って思想や信条だけでは生きていけないんだなって。やっぱり人間が生きていくためには人の優しさが必要なんだなって感じましたよ。その頃、彼は意識もおぼろで言葉もしゃべれなくなっていた。彼との確執や色々なことが、自分の中で融解した感じがしましたね」


――ゲイであるということで、トラブルにはなりませんでしたか?

マーガレット嬢「揉めたことはなかったね。父はある意味放任主義だった。小学生の高学年くらいのときに『11PM』(深夜のお色気番組)がやっていたんだけど、そこに青江のママ(青江忠一)が出ていたり、やたらとゲイ関係の特集を組んでた時期があったのよね。新聞のテレビ番組表で見つけて、夜中にこっそりテレビのある部屋で観ていたら、スッとドアが空いて父親が入ってきたの。“やばい!”って思ったけど、父は“将来のためだからよく観ておきなさい”って言って出ていったの」

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ドラァグクィーン時のマーガレットさん


――共産党員のわりに理解ありますね……。

マーガレット嬢「まあ元が台湾人だからね(笑)。そんな父親だったから、若い頃は反抗もしたけど、今思えば愛すべき人だったなぁってね。でね、アイツ、アタシの誕生日に死にやがったのよ(笑)。だから誕生日が来るたびに彼の命日だから忘れられない。この話をすると、人はだいたい“死んでもあなたを気にかけてくれてるのよ”って言うけど、なんか腹立つよね~」

 台湾人スパイの血を引き、日本のゲイカルチャーの現場で働き、そして現在はその文化的資料の保全に尽力する。マーガレット嬢の人生はそうして続いてゆく。

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