>  >  > 植民地時代のベトナムで執行されたギロチン斬首写真

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • コメント0

※2頁目に衝撃的な画像を掲載しています。苦手な方は文章のみご覧ください。

1707_hangneck_1.jpg
画像は、「DEATH ADDICT」より

 斧や剣の代わりとなる処刑器具として、フランスでギロチンが登場したのは1792年。あるフランス人医師が“人道的観点”から作成した設計図を基にギロチンは誕生した。同年4月に最初の処刑が執行されて以降、ギロチンはフランス革命中にルイ16世やマリー・アントワネットの首をはね、世界大戦中にはナチス・ドイツにも採用されるなど、1978年まで休むことなく使われ続けた。

 フランス革命中にはパリだけで3,000人、フランス全土では4万人がギロチンの犠牲になり、ナチス・ドイツも約3,000人の首をはねたといわれる。しかし、この処刑器具がアジア諸国にまで浸透していたことを知る人は少ないだろう。1885年にフランスの完全な植民地となったベトナムにもギロチンが持ち込まれ、1975年まで処刑に用いられていたのだ。

 19世紀フランスは、植民地化に反対するベトナム人を収容し、拷問するための施設「ホアロー捕虜収容所」を建設した。同施設はベトナムの首都ハノイに位置し、現在も博物館として残されている。施設内には、捕えられた捕虜を収容するための独房が並び、また実際に処刑用として使われていたギロチンも見ることができる。そして、ショッキングな画像を集める海外サイト「DEATH ADDICT」には、当時ベトナムで行われていた斬首の様子を収めた写真が多数公開されている。

 そこには、“さらし首”にされた複数の生首や、斬首した頭部を高々と掲げる処刑執行人の姿、さらには大衆の眼前で捕虜の首を切り落とす決定的瞬間も収められている。1908年にベトナム人によって構成された部隊が、ハノイに駐在するフランス人の食事に毒を盛ろうと画策した「ハノイ投毒事件」を起こした際にも、捕まった13人はギロチンによって打ち首にされた。

 いくら“人道的”とはいえ、ギロチン処刑によって多くの血が流れたことは紛れもない事実。ギロチンが世の中から姿を消したのは、喜ばしいことだろう。
(文=北原大悟)

※次頁に衝撃的な画像を掲載しています。苦手な方はTOPにお戻りください。

コメントする

お名前
コメント
画像認証
※名前は空欄でもコメントできます。
※誹謗中傷、プライバシー侵害などの違法性の高いコメントは予告なしに削除・非表示にする場合がございます。

18歳未満閲覧禁止

ここから先のコンテンツには、過激でグロテスクな表現と画像が含まれます。そういったものが苦手な方は、強い精神的不快感を覚える可能性があるため閲覧はお控えください。また、18歳未満の方の閲覧を禁止いたします。閲覧される方は必ず各自の責任を持ってご覧下さい。

閲覧しますか?