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イメージ画像:「Thinkstock」より

【日本奇習紀行シリーズ】 東海地方

 日本におけるサンカ研究といえば、民俗研究家の柳田國男や、いわゆる“八切史観”で知られる八切止夫などが一般的に知られているが、実際にサンカやその末裔たちと接し、その暮らし向きなどについて触れる機会があったのは、なにもこうした研究者たちだけではない。


「なんだろうね、あの人らがそういう人(サンカ)かどうかはわからないけれども、私らは“ヤマの人”と呼んでいたよ。でも、普段は口も聞かないし、お互いになるべく接触しないように、距離をとるっていうのかな。そういう不文律はあったから、詳しくはよくわからんのだけれどもね」


 その幼き日に、サンカの末裔と思しき人々と交流を行っていたことを、今回、我々の取材に対して明かしてくれたのは、東海地方のとある寒村で今なお暮らす土屋太郎さん(仮名・89)。土屋さんの話によると、彼がまだ少年だった昭和初頭、彼らの住む集落のはずれには、その出自が判然としない“ヤマの人”と呼ばれる人々が定住していたという。


「普通ね、あのあたりじゃ、その家がもともとどの家の分家で、どの家がどの家と何代前にくっついて……みたいなことがね、大昔の代からわかっているのが普通だったんだけれども、ヤマの人たちはそれがなくてね。じいさんたちの話じゃ、かなり大昔に、山の中から降りてきて、空いた土地で暮らし始めたっていう話だったよ。もちろん、屋号なんかもないもんだからね、“ヤマの人”って呼んでいたっていう」


 基本的に一箇所に定住することがなく、漂泊の暮らしを続けていたいわゆる「サンカ」と呼ばれる人々たちの中には、その後、時代の変遷と共に、山から下りて「トケコミ」「イツキ」と呼ぶ定住化を行う人々が現れるようになり、やがては「サンカ」以外の人々とも見分けがつかない状態となったといわれているが、そうした意味で言えば、土屋さんたちが見ていた“ヤマの人”たちも、そのような人々であった可能性が高いと見るべきだ。

コメント

1:匿名2018年1月14日 07:14 | 返信

こいつ等から見ればプーチンなんてヒヨッコだろうな

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