>  > 平塚5遺体事件…異様さで群を抜く“遺体放置事件”の衝撃

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――日本で実際に起きたショッキングな事件、オカルト事件、B級事件、未解決事件など、前代未聞の【怪事件】をノンフィクションライターが紹介する…!


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画像は、Thinkstockより

 このところ、遺体放置事件が多い。2月8日には、埼玉・所沢で2遺体が発見、2月10日には、大阪市都島区で86歳女性の遺体が放置されているのが発見、1月11日には、福島県と栃木県での遺体放置事件が報じられている。殺害が疑われるケースもあれば、死亡したのを放置していた死体遺棄のケースもある。

 遺体放置事件としては、台所と洋室6畳、3畳分ほどのロフトのあるアパートに、5体が放置されていた平塚5遺体事件がその異様さで群を抜いている。アパートの借主は、山内峰宏さん(35・当時)。2カ月分の家賃の滞納を管理会社に告げられて、峰宏さんの母親(64・当時)が神奈川県平塚市西真土のアパートを訪ねたのが、平成18年5月1日だった。

 部屋に入って母親が目にしたのは、鉄柵から首を吊って死亡している峰宏さんだった。そして若い女性が布団に包まれて死亡していた。岡本利加香さん(19・当時)だった。

「死にたい。一緒にいさせて」

 そんなメモが、峰宏さんの遺体の近くにあった。電源が入ったままのパソコンのディスプレイには、次のような文言があった。

「利加香と同じ墓に入れてほしい」

そのため、当初は無理心中とみられた。だがその翌日、神奈川県警が捜索に入ると、ロフトに置かれた段ボールの中に、ビニール袋に入った1人の男児、2人の乳幼児の、全部で3体の遺体が見つかる。男児は服を着たまま白骨化し、乳幼児は液状化してドロドロになっていた。

「娘を殺してしまった」

 部屋にはそう記されたメモが残されていた。


■利加香さんの母親・岡本千鶴子とは?

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画像は、Naverまとめより引用

 5月3日未明、利加香さんの母親の、岡本千鶴子(54・当時)が逮捕される。

 青森県の北津軽で生まれた千鶴子は、中学を卒業すると、結婚斡旋業者の仲介で北海道の奥尻島に嫁いだ。子どもも授かったが、夫が人付き合いが苦手で定職に就けないこともあり、生活は苦しかった。「ここでは子どもを育てられない」と言い、千鶴子は子どもを残して島を出た。

 千鶴子は20代で湘南の地にやってくると、秦野市内のキャバレーでナンバーワンホステスとなる。千鶴子に夢中になったのが、峰宏さんの父親の山内利男氏だった。

 遺体の第一発見者となった母親と利男氏で2人で営む蕎麦屋は、市内で1、2を争うほど繁盛していた。利男氏がそばを打ち、妻が接客していた。利男氏は、千鶴子と出会うまでは遊びを知らない、仕事一筋の男だった。

 昭和53年、利男氏の妻が三男を授かった。峰宏さんは次男である。同じ年、千鶴子も利男氏の子ども、利英君を授かった。妻が離婚し利男氏の元を去ると、千鶴子が入ってきて、蕎麦屋で働き出した。

 昭和59年12月末、6歳になっていた利英君が失踪する。「家の裏の車庫でサッカーボールを蹴っているうちにいなくなった」という千鶴子の証言で大々的な捜索が行われた。

 千鶴子はテレビの人捜し番組に出て、「お願いします。(息子を)返してください」と泣きながら訴えた。平塚市の社会福祉協議会で「長男が北朝鮮に拉致されたのに国は何もしてくれない。お金がなくて困っている。何もなしじゃやっていけない」と泣きわめいたこともある。

 利加香さんが生まれたのは、利英君失踪の翌年の昭和60年である。峰宏さんは父親の顔を見にしょっちゅう家に来ていて、利加香さんの遊び相手になっていた。利加香さんが長ずると、進路の相談にも乗った。

 蕎麦屋のほうは客足が遠のき、経営権を売却、家も売り、利男氏は朝から毎日一升の酒を飲むようになった。平成9年、利男氏は喘息が悪化して死亡する。

 千鶴子と利加香さんは、2DKのマンションで暮らしていたが、平成17年2月、家賃滞納で立ち退きが執行される。

「他に行くところがないから、ここで死ぬ!」

 千鶴子は包丁を手に持って叫んだ。

 迎えに来た峰宏さんのアパートで、その日から3人の生活が始まった。

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