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 東日本大震災から7年が過ぎようとしている。この震災の犠牲者1万5千人以上のうち、実に90%以上が「溺死」、つまり津波に呑まれて死亡した。その一方、津波で危うく命を落としかけながら九死に一生を得たケースも少なくない。今回は、彼らの奇跡的生還エピソードや、大震災によって“癒された”という不思議で感動的な5つの体験談を紹介したい。

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画像は「YouTube」より引用


■暴走族を解散してボランティアグループに転じた若者たち

 この大震災では、津波の高さや原発事故など“想定外”という言葉が多用されたが、予想に反して人々の優しさに触れたという良い意味での“想定外”を味わった人々もいた。甚大な災害が発生し、多くの人々が被災した時、そこから学べるものがあるとすれば、一つは「助け合いの心」ではないだろうか。暴走族の若者でさえ、心が動かされることもあるようだ。

 大震災から約1カ月後となる2011年4月17日、茨城県大洗町を拠点とする暴走族「全日本狂走連盟愚連隊大洗連合ミスティー」のメンバー9人が水戸警察署を訪れ、グループの解散を報告した。これまでの自分たちの行動を悔い改め、総長の少年(当時16)は、「これまで地域の人に多大な危険と迷惑をかけてきた。今後は震災の復興のためにボランティアをする」(朝日新聞、2011年4月19日)と宣言したのだ。

 不良少年たちをここまで大きく変えたのは、やはり被災体験のようだ。メンバーの多くも被災し、避難所生活を送ったが、そこで人の心の優しさに触れたことが自己を省みる契機となった。大災害に何らかの意味があるとすれば、それは“人々の心を優しくする”ことだろう。辛く苦しいのは自分だけではないのだと悟り、困っている人々を見て自然と手を差し伸べたくなるのかもしれない。

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画像は「YouTube」より引用


■冷水に浸かったまま15時間耐え、車椅子の妻を助けた71歳

 宮城県名取市の森勝寿さん(当時71)と直子さん(当時69)夫妻のエピソードは強烈だ。直子さんは30代で関節リウマチを患い、首・肩・肘・腰骨、膝などがすべて人工関節のため、自分では一歩も歩けない。勝寿さんは10年以上、わずかな年金で妻を介助してきた。そしてあの日、テレビを見ていた2人を大きな揺れが襲った。しばらくして津波警報のサイレンが鳴り響いたが、直子さんが動けないため避難所の小学校まで移動できず、その場に留まることしかできなかった。

 やがて2人を津波が襲い、濁流が部屋に流れ込んできた。その時、勝寿さんは壁に打ち付けられ、直子さんは水流で車椅子から投げ出された。すると勝寿さんは、ちゃぶ台にしがみつく直子さんの元へと泳ぎ着き、水に浸からないよう担ぎ上げた。水位が自分の胸まである状況で、ちゃぶ台を持ち上げ、手がかじかみ腕が悲鳴を上げても必死に耐え続けた。

コメント

1:匿名2018年3月12日 14:35 | 返信

まともな記事も書けるんだな、百瀬。
この調子で努力したまえ。

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