• このエントリーをはてなブックマークに追加
  • コメント1

311a_05.jpg
イメージ画像:「Thinkstock」より

■先祖の霊に助けられた

 東日本大震災のエピソードに戻ろう。石巻市の斎藤秀樹さん(43)は、脳梗塞で体が不自由な父(当時75)、糖尿病の合併症の母(当時74)、寝たきりの祖母(95)と4人で住んでいた。震災発生時には自宅でテレビを見ていたが、携帯の緊急地震速報が鳴った時、すぐに階段を降りて両親に「今から大きな地震が来るぞ」と伝えると、祖母を車椅子に乗せた。そして、揺れが収まると家を飛び出し、ちょうど巡回中だった警官による交通整理の助けなどを借りながら避難所の湊小学校へと向かった。

 避難所にたどり着いた時は、津波の第一波が押し寄せる直前のタイミングだった。斎藤さんは手記『津波からの生還』(旬報社)に、障害者と病人を含む家族4人が無事だったことは奇跡だと綴っている。

 実は、地震発生のちょうど1カ月前となる2011年2月11日、斎藤さんは不思議な夢を見ていた。すでに他界した親類が数人、夢枕に立ち「なにか危ないことが起きるから気をつけなさい」と言ったというのだ。そして震災1週間前の深夜には、近所のイヌやネコが奇妙な鳴き声を上げていたようだが、いま思うと地震の予兆だったのかもしれないという。このケースでは、親類の霊が大震災発生をズバリ教えてくれたわけではないが、斎藤さん一家に危機が迫っていることを察知し、夢枕に立ったものと思われる。


■自分の命と引き換えに多くの命を救った24歳の女性

311a_07.jpg
南三陸町防災対策庁舎 画像は「Google マップ」より引用

 最後のエピソードは、前述までとは異なり、自身が助かったのではなく、他の人々を助けた話だ。宮城県北東部の南三陸町で、町役場の危機管理課に所属する遠藤未希さん(当時24)は、海に近い防災対策庁舎に勤務していた。地震発生後、最大6mの津波警報が発令されると、防災放送を担当する遠藤さんは2階の放送室へ駆け込み、「津波が予想されますので、ただちに高台へ避難してください」と防災放送を始めた。

 やがて津波が襲来し、庁舎が数メートル浸水した後も、アナウンスが止まることはなかった。そして最後の4回では、「ただいま、宮城県内に、10メートル以上の津波が押し寄せています」と内容が変わった。この時点で、たとえ3階建て庁舎の屋上に避難しても津波に呑まれると十分わかっていただろうが、遠藤さんはアナウンスを止めようとしなかった。

コメント

1:匿名2018年3月12日 14:35 | 返信

まともな記事も書けるんだな、百瀬。
この調子で努力したまえ。

コメントする

お名前
コメント
画像認証
※名前は空欄でもコメントできます。
※誹謗中傷、プライバシー侵害などの違法性の高いコメントは予告なしに削除・非表示にする場合がございます。