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■九月虐殺

 革命の嵐吹き荒れる1792年9月、フランス・パリの監獄には多数の反革命主義の政治犯が収監されていた。パリ侵攻が噂される中、反革命分子は義勇兵の出兵後に蜂起し、脱獄して残った女子供を襲うという噂が立っていた。革命の指導者ダントンは「敵に打ち勝つためには、大胆さ、いっそうの大胆さ、常に大胆さが必要なのだ」と演説、囚人への人民裁判を始めた。

 パリ各地の監獄で市民による裁判の真似事が行われ、反革命分子とされた囚人たちは次々に処刑された。この事件の最も有名な犠牲者は王妃マリー・アントワネットの友人・ランバル夫人であろう。彼女はドレスを剥ぎ取られ、激しい暴行の末に死亡し、その死体もバラバラにされた。その首は槍の先に突き刺され、タンプル塔に幽閉中だった王妃にも見せつけられた。この事件で推定1100~1400人もの囚人が殺され、パリの監獄はすっかり空になったという。

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マクシム・フェーヴル「ランバル公妃の死」。画像は「Wikipedia」より引用

■セイラム魔女裁判

 1692年、米マサチューセッツ州セイラム村(現在のダンバース)で、200人近い村人が魔女として告発され、19人が処刑、1人が拷問死、5人が獄死する凄惨な事件が起きた。

 きっかけは降霊会に参加していたアビゲイル・ウィリアムズら複数の少女たちの「悪魔憑き」だった。少女たちは使用人ティテュバを始め、村人たちを次々に自分たちを呪った「魔女」だと告発した。敬虔なプロテスタントの村は大混乱に陥り、少女たちのあやふやな証言と拷問による告白を証拠として、次から次に有罪が宣告され、絞首刑が行われた。

 異様な事態はやがて州知事の耳にまで届き、ようやく裁判の停止が命令された。裁判に関わった牧師ジョン・ヘイルは「我々は暗雲の中に道を見失った」と記しているという。

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画像は「Wikipedia」より引用

コメント

3:匿名2018年4月 6日 01:57 | 返信

集団心理の怖さを取り上げてるのにわかんないの?
一部の馬鹿がクズな事すると似たような知遅れが真似し出すのは何よりも恐いことだろうが

2:匿名2018年3月13日 12:33 | 返信

虐殺事件の記事に球場の話って必要?最近の記事、関係ない事柄まぜるの多くて読みづらいです

1:匿名2018年3月13日 02:27 | 返信

「自身のTwitterやInstagramに「みなさんのパワーが伝わってきてわたし自身は貴重な経験をさせてもらえました」とコメントを発表する神対応を見せた」とあるけど、これ神対応と言ってしまうのは違うと思います 嫌なことを嫌だと言うのは当たり前の権利ですから、被害者が加害者に気を使うことを神対応と呼ぶのはちょっと.....

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