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【日本奇習紀行シリーズ】 中部地方

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画像は「Thinkstock」より引用

 1992年に公開された佐藤純彌監督の映画『おろしや国酔夢譚』では、江戸時代の船頭・大黒屋光太夫が漂流し、鎖国期ならではの苦難に翻弄されつつも、祖国である日本への帰郷を懸命に目指す姿が描かれていた。また、浜田彦蔵や中浜万次郎(ジョン万次郎)のように、突然見舞われた海難事故によって、“閉ざされた日本”という国から、はからずも海を渡るハメになった人々もいる。しかしそうした中、実に珍妙な目的で、この日本から外国へと渡った人間もいるのだという。


「これは私が子供の頃に、父方の祖父から聞いた“昔話”なので、本当にそうだったのか? と言われたら確証はないのですけれども……少なくとも、私自身は“実話”だと、今でも信じています」


 自身が伝え聞いたという“昔話”についてそう語るのは、くしくも、前出の大黒屋光太夫が拠点としていた三重県からさほど遠くはない、中部地方のとある港町で育ったという、西田吉三さん(仮名・90)。その昔、西田さんが、その祖父から伝え聞いたという話によると、かつて当地から、明治維新直後に、“ある使命”から、欧米へと旅立った一人の男性がいたのだという。


「田之輔さんという人らしいんですが……ええ、私も苗字はわかりません。とにかくその人はね、明治のはじめ頃、アメリカの偉い人に乞われる形で、“子作り”のためだけに、海を渡ったそうです」


 黒船の来航と共に、日本の鎖国体制が脅かされ、その後、明治維新が起きると、日本は積極的に欧米列強との交流をはかりつつ、自身もその仲間入りを果たそうと躍起になったことは歴史の教科書に記載されている通りである。しかしこうした交流が行われる中で、逆に欧米各国から、日本人が“乞われる”形で渡航したという話は、これまであまり耳にしてこなかった話だ。


「当時はね、アメリカの人らにとって、日本人というのはまだ物珍しい人間だったそうですから、おそらくですけれども、ある種の“実験動物”のような意味合いで、アメリカへと“輸出”されたんじゃないでしょうかね。向こうに行った後の田之輔さんについては、あまりよくわからないようですが、聞くところによると、向こうで何人もの女性との間に子供をもうけて、幸せに暮らしたそうですよ」

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