『二重橋事件発生直前の皇居正門石橋』

1954年1月2日は、皇居一般参賀で将棋倒しが発生し、16名の参賀者が圧死した「二重橋事件」の発生した日である。
終戦直後の1948年から国民のために開かれるようになった正月行事である一般参賀には、唯一正式に天皇の顔が見られるイベントとあり、この日も38万人もの民衆が集まっていた。
さらに1969年のこの日には“神軍二等兵を名乗る”活動家、奥崎
謙三による「昭和天皇天皇パチンコ狙撃事件」が起きた日でもあり、我々日本人にとっては様々な不幸の記憶とともに記憶されてべき日でもある。

(画像はWikipedia 二重橋事件より使用。Public Domain)

1月2日の不幸

1年
準備中
1954年
【群衆事故】「二重橋事件」皇居一般参賀で将棋倒しが発生し、16名の参賀者が圧死。終戦直後の1948年から国民のために開かれるようになった正月行事である一般参賀には、唯一正式に天皇の顔が見られるイベントとあり、この日も38万人もの民衆が集まっていた。
1969年
【暗殺未遂】【怪事件】「昭和天皇パチンコ狙撃事件」6年ぶりに開催された皇居一般参賀で、"神軍二等兵"を名乗る活動家、奥崎謙三が、15メートル先のバルコニーにいる昭和天皇に向かってパチンコ玉3発を発射。続けざまに「ヤマザキ、天皇をピストルで撃て!」と叫びもう一発を発射。いずれも命中しなかったが、暴行罪で1年6カ月の判決が下った。この事件を機にバルコニーには防弾ガラスが張られることとなった。
1971年
【群衆事故】「アイブロックスの惨事」スコットランド・グラスゴーで行なわれたレンジャーズ対セルティックという伝統の一戦"オールド・ファーム・ダービー"で将棋倒しが発生。8万人ものファンが試合終了後に一斉に出口へ向かったことが原因で西側スタンドの13番階段で66名が圧死した。犠牲者のうち31人が少年という悲惨な事故であり、将来的にアイブロックス・スタジアムの収容人員は44,000人に削減された。ちなみに同スタジアムでは、1902年4月5日にも25人の死者を出した同名の事故がある。
1976年
【死去】檀一雄【小説家】最終的には口述筆記となった遺作『火宅の人』で知られる小説家。女優・団ふみの実父。太宰治とも親交が深く、"最後の無頼派"などとも呼ばれていた。1975年に悪性肺ガンで入院し、翌年1月2日に死去。辞世の句は「モガリ笛 幾夜もがらせ 花二逢はん」だった。
2012年
【死去】真樹日佐夫【漫画原作者・小説家・空手家】梶原一騎の実弟であり、同じ道を歩んだマンガ原作者。大山倍達と義兄弟の契りを交わし、極真会館の師範代として活動するなど、格闘家としての顔も有名であり、キックボクシングジム真樹ジムを経営していた。逗子マリーナに持っていたヨットに乗船しようとした際に急性肺炎で死亡。没年71歳。