『原一男監督作品「ゆきゆきて神軍」のDVDジャケット』

1969年1月2日は、皇居の一般参賀に駆けつけた活動家・奥崎謙三が
昭和天皇に向かってパチンコ玉で狙撃をした「昭和天皇パチンコ事件」の発生した日である。この日は1954年の「二重橋事件」以来、6年ぶりに開催された皇居一般参賀であったが、"神軍二等兵"を自称す
奥崎謙三は、15メートル先のバルコニーにいる昭和天皇に向かってパチンコ玉3発を発射。続けざまに「ヤマザキ、天皇をピストルで撃て!」と叫びもう1発を発射したところで、警官に取り押さえられた。いずれも命中しなかったが、暴行罪により1年6カ月の判決が下った。この事件を機にバルコニーへ防弾ガラスが張られることとなったという点においても、皇室史に残る歴史的な事件である。
しかし、この時点で、奥崎の人生が満天下に知らしめられる日がくることを予想したものはいなかったであろう。
今も語り継がれる原一男1987年の代表作『ゆきゆきて神軍』は日本映画史、ドキュメンタリー史に残る問題作として、金字塔を打ち立てた。一見誰もがシンパシーを感じ得ないある老人アナーキスト
を追いかけた映画としては、奇跡的なまでに人々の心を捉えて離さない作品となった。しかし、その結果、一種のサブカルヒーローとして祭り上げられAV的作品にまで出演を果たすことになる奥崎の晩年が幸せになったとは言い難いであろう。だが、誰にも知られず歴史の闇に沈んでいくことよりは、報われたといえるだろう。

(画像はDVD『ゆきゆきて神軍』使用)

1月2日の不幸

1954年
【群衆事故】「二重橋事件」皇居一般参賀で将棋倒しが発生し、16名の参賀者が圧死。終戦直後の1948年から国民のために開かれるようになった正月行事である一般参賀には、唯一正式に天皇の顔が見られるイベントとあり、この日も38万人もの民衆が集まっていた。
1969年
【暗殺未遂】【怪事件】「昭和天皇パチンコ狙撃事件」

6年ぶりに開催された皇居一般参賀で、"神軍二等兵"を名乗る活動家、奥崎謙三が、15メートル先のバルコニーにいる昭和天皇に向かってパチンコ玉3発を発射。続けざまに「ヤマザキ、天皇をピストルで撃て!」と叫びもう一発を発射。いずれも命中しなかったが、暴行罪で1年6カ月の判決が下った。この事件を機にバルコニーには防弾ガラスが張られることとなった。

1971年
【群衆事故】「アイブロックスの惨事」スコットランド・グラスゴーで行なわれたレンジャーズ対セルティックという伝統の一戦"オールド・ファーム・ダービー"で将棋倒しが発生。8万人ものファンが試合終了後に一斉に出口へ向かったことが原因で西側スタンドの13番階段で66名が圧死した。犠牲者のうち31人が少年という悲惨な事故であり、将来的にアイブロックス・スタジアムの収容人員は44,000人に削減された。ちなみに同スタジアムでは、1902年4月5日にも25人の死者を出した同名の事故がある。
1976年
【死去】檀一雄【小説家】最終的には口述筆記となった遺作『火宅の人』で知られる小説家。女優・団ふみの実父。太宰治とも親交が深く、"最後の無頼派"などとも呼ばれていた。1975年に悪性肺ガンで入院し、翌年1月2日に死去。辞世の句は「モガリ笛 幾夜もがらせ 花二逢はん」だった。
2012年
【死去】真樹日佐夫【漫画原作者・小説家・空手家】梶原一騎の実弟であり、同じ道を歩んだマンガ原作者。大山倍達と義兄弟の契りを交わし、極真会館の師範代として活動するなど、格闘家としての顔も有名であり、キックボクシングジム真樹ジムを経営していた。逗子マリーナに持っていたヨットに乗船しようとした際に急性肺炎で死亡。没年71歳。