『アメリカ皇帝の正装を身にまとう皇帝ノートン1世ことジョシュア・ノートン』

1880年1月8日は、19世紀後半のサンフランシスコで突如アメリカ皇帝の名を僭称(公的に要求)した人物、ジョシュア・ノートンが死亡した日である。
成功した実業家の息子として裕福な家庭に産まれたジョシュア・ノートンであったが、その遺産の運用に失敗し、早々に一文無しになってしまった。
そしてその結果、精神的な疾患を生じ、アメリカ皇帝を僭称したとも言われている。
無論、政府側はこの要求を無視していたが、民衆はこれをあたたかく支持し、サンフランシスコの街を皇帝の正装で査察するノートン1世を愛していた。
レストランは高級な食事を無償でふるまい、サンフランシスコの新聞社に送りつけられるノートン1世からの“勅令”を楽しみにし、ノートン1世に失礼な振る舞いに出た鉄道会社にはクレームが大挙するほどの支持をみせていた。
しかしノートン1世は生涯にわたり貧しく、亡くなった時に持っていた現金は10ドルもなかったほどであった。
そのままでは無縁仏として集合墓地に埋葬される他なかったのだが、パシフィック・クラブなるビジネスマンの組織が中心となって葬儀費用を集め、結果的には3万人が参加し2マイルの葬列を為すほどに荘厳な葬儀でノートン1世を送り出している。
現代のアメリカ社会からは考えられないほど長閑で豊かなエピソードとして、その死は今も愛されている。

(Wikipedia Emperor Nortonより使用。Public Domain)

1月8日の不幸

1年
準備中
1880年
【死去】ジョシュア・ノートン(Joshua Abraham Norton)【皇帝僭称者】(つづきから)1880年1月8日の夜、科学アカデミーでの講演に向かう路上で倒れているところを発見され病院に搬送されたが、到着する前に死亡した。没年推定61〜62歳。その生涯は貧しく、亡くなった時に持っていた現金は10ドルもなかったほどであったが、民衆からの寄付で豪華な葬儀が行なわれた。
1880年
【死去】ジョシュア・ノートン(Joshua Abraham Norton)【皇帝僭称者】19世紀後半のサンフランシスコで突如アメリカ皇帝の名を僭称(公的に要求)した"ノートン1世"として知られる人物。成功した実業家の息子として裕福な家庭に産まれたが、その遺産の運用に失敗し、早々に一文無しに。その結果、精神的な疾患を生じたとも言われている。無論、政府側はこの要求を無視していたが、民衆には愛された。(つづく)
1933年
【自殺】「三原山火口投身自殺」一般の学生・真許三枝子が学生・富田昌子の立ち会いのもと伊豆大島の三原山火口で投身自殺。翌月にも富田立ち合いで同じ場所から学生の松本貴代子が投身自殺し、三原山が自殺の名所化。1933年だけで125人が投身自殺、900名以上が保護されることに。
1965年
【自殺】ボリス・バルネット(Boris Vasilyevich Barnet)【映画監督・脚本家・俳優/ソ連】1900年代前半のサイレント、トーキー時代に活躍したソ連を代表する映画監督。代表作『帽子箱を持った少女』を始め、あらゆるジャンルの映画を産み出した。1963年の『ちいさな駅』以降その活動は沈黙していたが、1965年1月8日リガ(現ラトビア)で釣り糸にぶら下がって自殺しているところを家族に発見された。没年62歳。
1967年
【事故死】【奇妙な死】ズビグニェフ・ツィブルスキ(Zbigniew "Zbyszek" Cybulski)【俳優/ポーランド】1958年の映画『灰とダイヤモンド』(アンジェイ・ワイダ監督)のマーチェク役で知られる"ポーランドのジェームス・ディーン"。ポーランド・ヴロツワフのWrocław Główny駅において、発車直後の列車に飛び乗ろうとして線路に落下、轢死した。没年39歳。旅行中の友人・マレーネ・ディートリッヒに別れの挨拶をした直後の惨劇だった。
1976年
【死去】周恩来(Zhou Enlai)【政治家/中国】毛沢東の右腕、後継として中華人民共和国の初代国務院総理を務めた政治家。日中戦争、文化大革命という激動の時代の宰相として活動した。1972年に膀胱ガン発見され、1974年6月に入院、病床から指示をしていたが、1976年1月8日に死亡した。本人の希望により、遺体が革命家たちに蹂躙されないように火葬され、中国上空から散布された。
1996年
【死去】フランソワ・ミッテラン(François Maurice Adrien Marie Mitterrand)【政治家/フランス】1981年に第21代フランス大統領に就任して以来、14年にわたり務めた政治家。前立腺ガンでパリの自宅で死亡。79歳没。晩年にガンを隠しながら公務に就いていたことを暴露した担当医とその記事を掲載した出版社を家族が訴訟した。
1996年
【死去】三橋美智也【歌手】『ソーラン節」』『炭鉱節』『黒田節』などの民謡でミリオンセラーを連発した戦後昭和の人気歌手。NHK紅白歌合戦に10回連続出場するなど国民的流行歌手として活躍した。タクシーで移動中に心不全を起こし病院に搬送されたが多臓器不全で死亡した。没年65歳。
2010年
【自殺】トニー・ホーム(Tony Christian Halme)【ボクサー・プロレスラー/フィンランド】(つづきから)フィンランド議会議員任期中の2003年に自宅で発砲事件を起こし、血中からアンフェタミンが検出。以降アルコールと薬物の依存症で苦しみ、2010年に自宅アパートで拳銃自殺しているところを発見された。没年47歳。
2010年
【自殺】トニー・ホーム(Tony Christian Halme)【ボクサー・プロレスラー/フィンランド】フィンランド・ヘルシンキ出身のボクサー、プロレスラー、総合格闘家。フィンランド国内でアマチュアボクサーとして活躍後渡米しスタントマン等からプロレスラーに転向。その後プロボクサーとして来日し、橋本真也らとの異種格闘技戦で人気を集めた。日本でもプロレスラーとしてIWGP王座を獲得、アメリカでもWWFマットに上がり、最終的には総合格闘家としてUFCに参戦した。(つづく)