『1964年東京オリンピック男子マラソンで走行中の円谷幸吉』1964年10月21日撮影

1968年1月9日は、1964年東京オリンピック男子マラソン競技で銅メダルを獲得した日本を代表する長距離ランナー円谷幸吉が自殺した日である。
自国開催の東京オリンピック銅メダルを受け、次回メキシコ大会での金を宿命づけられた気鋭のランナーは、交際していた女性との結婚すら所属していた自衛隊体育学校校長により却下され破談、さらには腰痛、椎間板ヘルニアと身体的な苦境にも晒されていた。
そして1968年のメキシコオリンピック開催を控えた1月9日、陸上自衛隊体育学校幹部宿舎のベッドに横たわり、カミソリで手首を切って自殺したのだった。
トップアスリートの自殺というニュースと共に、家族に宛てられた遺書が話題となった。
それは「父上、母上様、三日とろゝ美味しうございました」の一文で始まり、家族と好きな食べ物が対で繰り返される、不思議な響きを持った“詩”であった。
その後遺書は「父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒 お許し下さい。気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」と結ばれており、栄光に彩られているかにみえた円谷の27年間の人生が、いかに孤独なものであったかが伝わってくる。

(写真はWikicommons より使用。Public Domain)

1月9日の不幸

1891年
【政治事件】「不敬事件」1890年に第一高等中学校に配属された講師・内村鑑三がその年に発布された「教育勅語」への最敬礼を行なわなかったために同僚・生徒らに問題視され不敬事件として社会問題化。内村はキリスト教徒の立場から拒否したと言われている。事件後体調を崩したために依願退職した。
1918年
【自然災害】「三俣の大雪崩」 新潟県三俣村(現湯沢町)で大規模な雪崩が発生し、人家28戸と学校1棟が埋まる大惨事に。死者155名という日本では史上最悪の雪崩災害となった。送電用の発破作業が原因とも言われている。
1964年
【交通事故】八波むと志【コメディアン】由利徹、南利明との脱線トリオで人気を博したコメディアン。自ら運転している自動車で東京・千代田区を走行中に都電の安全地帯に激突死。脳底骨折で37歳没。
1968年
【自殺】円谷幸吉【マラソン選手】

1964年東京オリンピック男子マラソン競技で銅メダルを獲得した日本を代表する長距離ランナー。自国開催大会の銅メダルを受け、次回メキシコ大会での金を宿命づけられた気鋭のランナーは、交際していた女性との結婚すら所属していた自衛隊体育学校校長により却下され破談、さらには腰痛、椎間板ヘルニアと身体的な苦境にも晒されていた。そして1968年のメキシコオリンピック開催を控えた1月9日、陸上自衛隊体育学校幹部宿舎のベッドに横たわり、カミソリで頸動脈を切って自殺。27歳没。家族に宛てられた「父上、母上様、三日とろゝ美味しうございました」の一文で始まり、「父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」で結ばれる遺書が話題となった。

1988年
【死去】宇野重吉【俳優】滝沢修らと劇団民藝を創設するなど、戦前戦後に演劇界で活躍した俳優。テレビ・映画でも広く活躍し、代表作に映画『痴人の愛』『愛妻物語』など。長男に同じく俳優の寺尾聰がいる。肺ガンで73歳没。
2005年
【死去】小森和子【映画評論家】『婦人公論』『映画時代』の編集部を経て『映画の友』在籍時に淀川長治の勧めで映画評論活動を開始。その後テレビメディアなどでタレントとして活躍、"小森のおばちゃま"として人気を博した。また、菊池寛、川口松太郎、檀一雄らとの奔放な性遍歴をオープンにしていた人物としても知られている。1995年に自宅にてヒーターで顔を火傷する事故に遭い、表舞台から消える。晩年は鬱病、パーキンソン病、認知症に悩まされ、呼吸不全で95歳没。死後、4億円ともいわれる遺産を養女が使い切ったとの噂が騒動に。
2007年
【怪死】【自殺】森下直人【実業家】2000年前後に世界中を席巻した格闘技団体「PRIDE」の経営母体であったドリームステージエンターテインメント社長として知られる人物。東京・新宿のヒルトン東京の浴室で首吊り自殺体となって発見された。没年42歳。原因は部下であった榊原信行の裏切りと言われており、警察発表は自殺と断定されたが、前日の記者会見で今後の展望を熱弁した直後であっただけに様々な憶測を呼ぶ結果となった。