『死の2日前に発表されたデヴィッド・ボウイのアルバム「Black Star」のジャケット』

2016年1月10日は、1960年代後半からその独特な世界観で世界のポップミュージックシーンを牽引した、不世出のミュージシャン、デヴィッド・ボウイが死亡した日である。
その死の18カ月前に医師から肝臓ガンとの診断を受けていたボウイであったが、プロデューサー以外の参加スタッフ全員にはその病気を隠しながら、秘密裏に最期の作品作りへ取りかかり、2016年1月8日、自らの69歳の誕生日に最新アルバム『Black Star』を発表。その2日後に、肝癌ガンで亡くなったことが公式Facebookで公表された。その収録曲『Lazarus』の歌詞は、「Look up here, I'm in heaven」で始まり、近い将来の死を意識して作られた曲であると言われている。
1年以上をかけて製作された最期のアルバムは、長年支えてくれたファンへの遺書と呼ぶに相応しいタイミングのものであり、完全主義者ともいわれる生前のボウイらしい丁寧な仕事であった。
時に“カルト”とも形容された挑戦的な表現を追求したアーティストであったために、知名度のわりに商業的な成功を収めていたと言い難い音楽活動であったが、周到に用意された“最期のメッセージ”は、自身初のビルボード全米チャートの1位を獲得した。
デヴィッド・ボウイは、自殺以外の方法でここまで思い通りの死がデザインできるということを、その類い希な才能で最後に証明してみせた人物であった。

(写真はWikipedia Black Starより使用。Public Domain)

1月10日の不幸

1922年
【死去】大隈重信【政治家・教育者・武士】

佐賀藩士に生まれ、幕末の尊皇派として活動。明治維新後は参議兼大蔵卿として活躍し、外務大臣、農商務大臣を経て1898年に第8代内閣総理大臣に就任。薩長藩以外では初の総理大臣となったが、アメリカとの外交に失敗したことが元でわずか4カ月で総辞職。1907年には政界を引退し、早稲田大学を創設するなど、教育者として活動していた。その後の大正期の第一次護憲運動とともに政界に復帰し、1914年に17代内閣総理大臣に就任。第一次世界大戦に参戦するとともに内務大臣、外務大臣を兼任したが、次第に求心力を失い1916年10月に内閣総辞職(辞職時の満78歳6カ月という年齢は歴代総理大臣中最高齢)。政界からも完全に引退し、1922年1月10日に胆石症で死亡。没年83歳。1月17日に日比谷公園で国葬が行なわれ、30万人もの一般客が駆けつける騒ぎとなった。

1947年
【死去】織田作之助【小説家】

昭和初期から戦後にかけて活躍した無頼派を代表する作家。代表作に『夫婦善哉』『青春の逆説』等多数。1946年12月に結核が悪化し大量の吐血。翌年1月10日に死亡した。

1971年
【死去】ココ・シャネル(Coco Chanel)【ファッションデザイナー・実業家/フランス】

今や定番となった"シャネル・スーツ"でそれまでの女性のライフスタイルまでを一変させた20世紀を代表するファッションデザイナー。著名人との交流や、早くから洋服だけでなくオリジナルの香水を発売するなどの商才を発揮し、自らのブランド「シャネル」を、世界を代表する最高級ブランドに仕立て上げた。晩年は孤独からの不安に苛まれ、毎日モルヒネの注射を打ちながら生活をしており、1971年1月10日にパリの常宿、ホテル・リッツでコレクションの準備中に死亡した。87歳没。第二次大戦中に占領下のフランスでドイツ人将校らとの交際で"ナチスの協力者"として批判された時期もあったためにフランスの高級墓地での埋葬を拒絶され、亡命先であったスイス・ローザンヌで埋葬されている。

1976年
【死去】ハウリン・ウルフ(Chester "Howlin' Wolf" Burnett)【歌手/アメリカ合衆国】

唯一無二のうなり声のような歌唱法で、1950年代〜1970年代にかけて常に独特の存在感を放ち続けたブルース・シンガー。代表作にアルバム『Moanin' in the moonlight』『The Howlin' Wolf Album』等。1960年代から徐々に体調を崩し始め、1970年代に数回の事故でライブの曲数を6曲に制限しながら活動を続けた。腎臓病の合併症で65歳没。

1990年
【死去】ジュリエット・ベルト(Juliet Berto)【女優・映画監督】

映画初出演作となった1967年の映画『彼女について私が知っている二、三の事柄』以降、『中国女』、『ウイークエンド』、『たのしい知識』、『ウラジミールとローザ』と立て続けにジャン=リュック・ゴダールの作品に出演し続けたヌーヴェルヴァーグ期の人気女優。1980年代以降は映画監督に転身し、1981年の『Neige(雪)』で第34回カンヌ国際映画祭若い映画賞を受賞するなど将来を嘱望されたが、1990年1月10日に乳ガンのために42歳で死亡した。

1990年
【死亡】栃錦清隆【大相撲力士・指導者】

同時代に活躍した横綱、初代若乃花とともに"栃若時代"と呼ばれる黄金期を築いた大相撲第44代横綱。"技の博覧会"と呼ばれた相撲巧者ぶりで幕内最高位優勝10回を挙げた。幕内通算成績513勝203敗1分32休。全盛期ともいえる1960年5月場所に34歳で引退。その後は年寄春日野として後進の指導に当たり、1974年に第5代日本相撲協会理事長に就任。両国国技館への移転を成功させるなど、14年にわたり長期的な政権を築いた。1988年に理事長職を二子山(元初代若乃花)に譲り、相談役に就任。翌1989年11月に脳梗塞で倒れ、そのまま翌年1月10日に死亡した。没年64歳。

2016年
【死去】デヴィッド・ボウイ(David Bowie)【ミュージシャン・俳優/イギリス】

1960年代後半から『スペイス・オディティ』『ジギー・スターダスト』等その独特な世界観で世界のポップミュージックシーンを牽引した、不世出のミュージシャン、ロック・スター。『戦場のメリークリスマス』等多くの映画に出演した俳優としても知られている。その死の18カ月前に医師から肝臓ガンとの診断を受けていたが、プロデューサー以外のスタッフ全員にはその病気を隠しながら、秘密裏に最期の作品作りへ取りかかり、2016年1月8日、自らの69歳の誕生日に最新アルバム『Black Star』を発表。その2日後に、肝癌ガンで亡くなったことが公式Facebookで公表された。