『ライブでのダニー・ハサウェイ』

1979年1月13日は、1970年代に新しい形のソウルを提示し黒人文化の発展にも貢献したといわれるソウル・ミュージシャン、シンガーのダニー・ハサウェイがニューヨークのエセックス・ハウス・ホテルから転落死した日である。
1971年に大ヒットを記録したロバータ・フラックとのデュエット『You've Got a Friend(君の友だち)』(キャロル・キングのカバー)等、過去の白人ミュージシャンの名曲を黒人的解釈でカバーすることで天才的な感覚を発揮していたミュージシャンであったハサウェイだが、人気絶頂の1973年に妄想型の統合失調症と診断され、以来、強力な投薬を必要とする毎日となり、表舞台からは次第に遠ざかっていった。そして精神科への入退院を繰り返す中で、かつて蜜月であったフラックとの友情関係にもヒビが入っていき、孤独な生活を強いられていったという。そして1979年1月13日、新しいアルバムのレコーディングを開始しようとスタジオに入ったダニーは、プロデューサーのエリック・マーキュリーに「白人が俺の頭に機会を繋げて音楽を盗み、殺そうとしている」と言うまでに症状が悪化していたという。
マーキュリーは録音が不可能と感じ、その日のセッションを中止し、全ての人間がスタジオから去った。
そしてその数時間後、エセックス・ハウス・ホテルの前の歩道には、ダニーの遺体が見つかった。
15階の部屋から落ちたと思われるが、争った形跡もなく、警察は自殺と断定。
しかし新規アルバムのレコーディングという時期であっただけに、周囲の人間も、ダニーの妻も「自殺ではない」と口を揃えている。
その死の真相は定かではないが、1969年にデビューし、1973年のセミリタイアまで、たった4年という短すぎるキャリアでダニー・ハサウェイが与えた影響は今も残るほど絶大であり、ジョン・レジェンド、アリシア・キーズなど多くのスターたちがその影響を公言している。
晩年の病理により孤独にみえたその短すぎる人生は、残した音楽により、今も多くの“友だち”をつくりつづけているのだ。

(写真はWikipedia Donny Hathawayより使用)

1月13日の不幸

1年
準備中
1979年
【自殺】【怪死】ダニー・ハサウェイ(Donny Hathaway)【ミュージシャン/アメリカ】(つづきから)1979年1月13日、新しいアルバムのレコーディングを開始しようとスタジオに入ったが症状が悪化しておりレコーディングは中止に。そしてその数時間後、ニューヨークのエセックス・ハウス・ホテルの15階の部屋から転落死。没年33歳。警察は自殺と断定したが、妻は否定した。
1979年
【自殺】【怪死】ダニー・ハサウェイ(Donny Hathaway)【ミュージシャン/アメリカ】1970年代に新しい形のソウルを提示し黒人文化の発展にも貢献したといわれるソウル・ミュージシャン。代表曲にロバータ・フラックとのデュエット『You've Got a Friend(君の友だち)』等。人気絶頂の1973年に妄想型の統合失調症と診断され、以来、強力な投薬と精神科への入退院を繰り返す生活に。(つづく)
2002年
【薬物】【奇妙な死】テッド・デミ(Ted Demme)【映画監督/アメリカ】1970年代を生きた伝説のドラッグ・ディーラー、ジョージ・ユングの人生を描いた映画『Blow(ブロウ)』で知られる映画監督。ジョナサン・デミの甥としても知られている。セレブたちによるバスケットボールの試合中に倒れ、そのまま心臓停止で死亡した。没年38歳。司法解剖の結果コカインが検出された。ちなみに、遺作の『Blow』はコカインの隠語である。
2010年
【孤独死】田の中勇【声優】アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の目玉の親父役として知られる声優。私生活では生涯独身であった。死の直前まで現役で仕事を続けており、2010年1月13日に東京と世田谷の自宅で死亡しているところを家族により発見された。死因は心筋梗塞。没年77歳。
2012年
【海難事故】「コスタ・コンコルディア座礁事故」世界各国からの観光客を含む乗員乗客4,299人を載せたイタリアの観光クルーズ用大型客船コスタ・コンコルディアがジリオ島付近で座礁。70度傾いた状態で沈没した。死者32人、負傷者60人という事故にもかかわらず、事故の原因となった船長が先に脱出していたことで国際問題に。後日スイス人乗客により事故当日の船内のレストランで映画『タイタニック』の主題歌『My Heart Will Go On』が流れていたと判明。また当日は13日の金曜日でもあった。
2016年
【解散】「SMAP解散騒動」アイドルグループ「SMAP」が解散するという報道が『スポーツニッポン』『日刊スポーツ』等で大々的に報じられ、各メディアでトップニュース扱いに。『週刊新潮』2016年1月21日号(14日発売)でその旨の特集記事が出ることを知った所属事務所側がその衝撃を和らげるために1週間前にスポーツ紙にリークしたといわれている。