『弟の滋郎と写る出撃寸前の小野田寛夫(写真右)』

2014年1月16日は、太平洋戦争敗戦直前の1944年12月31日に、フィリピン・ルバング島に派兵されたまま30年以上も戦闘を続けた旧日本兵、小野田寛夫が死亡した日である。
その孤独な軍人生活が世界的に評価される一方、その2年前にアメリカ領グアム島に同様に潜伏し続け帰国した横井庄一氏とは異なり、帰国後の日本の生活に馴染めなかった小野田は、帰国後半年でブラジルに移住し、晩年まで帰ることはなかった。最晩年を保守の活動家として過ごしたほどの愛国心を持った人物でありながら、その人生の大半を異国で送った小野田。孤独感の強いその特異な人生は、果たして不幸であったのだろうか——《人の心の中にある祖国とは何か》を考えさせるその人生である。

(写真はWikipedia Hiroo Onodaより使用。Public Domain)

1月16日の不幸

2013年
【死亡】佐久間正英【ミュージシャン・音楽プロデューサー】

ロックバンド「四人囃子」のベーシストとして活躍後、「プラスチックス」でも活躍したミュージシャン。1980年頃からプロデュース業に移行しながらBOØWY、THE BULUE HEARTS、渡辺美里、JUDY AND MARY等、数々の人気ミュージシャンの作品長年にわたりを手がけた。2013年8月9日に公式ウェブサイト上で末期のスキルス胃ガンを公表し、2014年1月16日に死亡。没年61歳。死後の1月20日に公式ツイッター上で、実子の音哉により死亡報告のツイートがされた。

2014年
【死去】小野田寛郎【軍人・実業家】

太平洋戦争敗戦直前の1944年12月31日に、フィリピン・ルバング島に情報将校として派兵された元陸軍少尉。翌8月15日の日本の敗戦を知らないまま、赤津勇一、島田庄一、小塚金七らと共に現地で戦闘を続け、ジャングルで諜報活動を続けた。同年9月に戦死公報を出されたが、5年後の1950年に赤津が投降したことにより小野田ら3人の存在が判明。しかし投降をしなかった小野田は、1974年に冒険家の鈴木紀夫に説得されるまで、そのまま30年以上も戦闘を続けた。1974年3月10日にフィリピン軍の基地で投降。当時のマルコスフィリピン大統領によりその潜伏期間の殺傷や盗難の罪を恩赦され、3月12日に帰国した。その2年前にアメリカ領グアム島に同様に潜伏し続け帰国した横井庄一氏とは異なり、帰国後の日本の生活に馴染めず、帰国後半年でブラジルに移住。農場を経営するなどして成功を収めた後に帰国。私塾「小野田自然塾」を立ち上げるなど、晩年を保守の活動家として過ごした。2014年1月16日に肺炎で死去。没年91歳。