『『情熱のアンダースロー 小林繁物語』の表紙』

2010年1月17日は、元プロ野球選手で阪神タイガースのエースとして活躍した大投手、小林繁が死亡した日である。
社会人全大丸で活躍後、1973年のドラフト6位で巨人に入団し、将来の若手エースとして輝き始めた矢先の1978年に、当時話題の新人であった江川卓のドラフト権を獲得した阪神とのトレードで放出された。若き日の小林は、江川入団のためにあらゆる手段を講じた巨人軍の日本プロ野球史に残る暴挙「江川事件」の犠牲となったのである。以降は、人を食ったようなキャラクターとルックスの江川との対比で、“悲劇のヒーロー”としてまつりあげられた小林であったが、そのキャリアはどこか暗い影がつきまとった。だが、持ち前のストイックな精神性を前面に押し出した粘り強い投球で阪神タイガースのエースとしてその才能を見事に開花させ、最多勝1回、シーズン最優秀投手2回、沢村賞2回を獲得し、キャリア通算11年で139勝を積み上げた。この勝利数は江川の通算135勝をわずかに上回り、プロ野球再編の前に江川を巨人に差し出した阪神球団の思いに十分応えたものといえるだろう。引退後はメディアで活躍後、投手コーチとして大成しかけたが、57歳で心不全のために急死した。指導者としては江川よりも素晴らしいキャリアを期待できる状況にあっただけに、その心中は余りあるが、誰もの悲しみを誘う唐突な最期もまた、小林の悲壮なイメージを損なわないものだった。
なお、1994年のこの日は兵庫県を中心とした関西地区を大地震が襲った「阪神・淡路大震災」が発生した日でもある。同じく兵庫県に所在する甲子園球場で夢を与え続けた小林の死と重なったのは、偶然といえるのだろうか。

(画像は近藤隆夫著『情熱のアンダースロー 小林繁物語』(2010年/竹書房)

1月17日の不幸

1977年
【死刑】「ゲイリー・ギルモアの死刑」人権的見地から死刑執行が停止となっていたアメリカ・ユタ州で、「死刑にされる権利」を州知事に要求していた死刑囚のゲイリー・ギルモアが、その権利を勝ち取り銃殺刑に処された。ギルモアは10歳頃からその人生を通じて逮捕と釈放を繰り返しており、最終的には殺人と強盗で死刑が確定していた。死刑停止の時期には同じく収監されていた恋人と同時刻に殺人未遂も起こしていた。没年36歳。その異常な物語は『死刑執行人の歌』『心臓を貫かれて』等の文学作品となり世界的な関心事となった。
1994年
【自然災害】「ノースリッジ地震」アメリカ・ロサンゼルスの中心からそう遠くない場所でマグニチュード6.8の地震が発生。死者57人、負傷者約5,400人と、翌年同日の阪神淡路大震災と比べると比較的小規模に思われるが、高速道路が体はするなど、アメリカ有史上では最も経済的打撃があった地震のひとつとされている。
1995年
【自然災害】「阪神・淡路大震災」関西京阪神地区において、マグニチュード7.3を記録した大地震「兵庫県南部地震」が発生。早朝の5時46分に発生した大都市圏の直下型地震のために、寝ていたまま住宅に押し潰された犠牲者を中心に、6,434人もの死者が出ており、4万人以上の負傷者を出すこととなった。膨大な被害からの立ち直りとして、被害地域にホームタウンを置いていたプロ野球オリックス・ブルーウェーブが「がんばろう神戸」を合言葉にパ・リーグ優勝を遂げたことでも話題となった。
2010年
【自殺】【怪死】郷里大輔【声優・ナレーター】

その独特勝つ骨太な声で、報道番組『THE・サンデー』他シリアスなナレーションで活躍し、アニメ『キン肉マン』のロビンマスク役や『ドラゴンボールZ』のミスター・サタン役で知られる声優。2010年1月17日に東京都中野区本町の路上の建物と建物の間で手首などから流血をして死亡しているところを発見された。近くから刃物、遺書(家族宛てで「ごめんね」「ありがとう」等の言葉)が発見されたが、所属の青ニプロは急性心不全と発表。没年57歳。晩年は糖尿病や網膜剥離に悩まされていた。

2010年
【急死】浅川マキ【歌手】『浅川マキCD「裏窓」のジャケット』1968年に寺山修司のアンダー・グラウンド・シアター「蠍座」で行なった三日間の単独興行以来、"黒"、"夜"、そして"闇"を身にまとい続け決してそこから抜け出ることはなかった"アンダーグラウンドの女王"。そのイメージはキャリアを通じて一度もぶれることはなく、独特の世界観で創り出されるブルースは、"アンダーグラウンド"の領域に止まらない人気を誇っていた。2010年1月17日に公演のため訪れていた名古屋のホテルでひとり倒れていた。没年67歳。
2010年
【急死】小林繁【プロ野球選手・指導者・解説者】

1973年ドラフト6位で巨人に入団し4年目より強豪を担う若手エースとして君臨していたサイドスローの投手であったが、当時話題の新人であった江川卓入団を至上命令とした球団の意向により、江川のドラフト権を獲得した阪神とのトレードで放出された。以降は阪神タイガースのエースとして活躍し、最多勝1回、シーズン最優秀投手2回、沢村賞2回を獲得。キャリア通算で139勝を挙げた。引退後はスマートな語り口で解説者、ニュースキャスターとしても活躍したが、バブル崩壊の影響もあり莫大な借金を抱えた。投手コーチとしては近鉄、日本ハムと渡り歩き、2010年シーズンには1軍投手コーチを務める予定であったが、福井市内にあった自宅で「背中が痛い」と不調を訴え心肺停止に。そのまま心筋梗塞による心不全で急死した。没年57歳。