『幸徳秋水のポートレート』

1911年1月18日は、明治期にアナーキストとして活動した思想家、幸徳秋水が明治天皇暗殺を企てた首謀者として逮捕された「幸徳事件」が発生した日である。
前年の5月25日に爆弾の製造所有で逮捕された宮下太吉、新村忠雄らの「明科事件」以来、「大逆事件」として社会主義活動家が大量に検挙された流れでの極め付きが、この日の幸徳の逮捕事件であった。しかし、「直接行動論」などを掲げ国体変革を迫る過激な活動をしていたとはいえ、あくまでも著作による文章表現にとどまっていた幸徳を「明治天皇暗殺の首謀犯」とするのは強引に過ぎ、後年、政府による容疑の捏造であることが有力とみられている。逮捕後、国内はもとより世界的に講義の声が上がったが、死刑執行までたったの6日であったこともあり、当時の政府がいかに社会主義者を恐れ弾圧していたかがわかる事件である。共謀罪法案など、過剰なテロ対策法案が話題に上っている現在、「幸徳事件」は思い起こされるべき《不の記憶》であろる。

(画像はWikipedia Shusui Kotoku より使用。Public Domain)

1月18日の不幸

1999年
【死去】土居まさる【アナウンサー・司会者】

1964年に文化放送にアナウンサーとして入社後、『ハローパーティー』『セイ!ヤング』等の深夜ラジオのDJとして人気を博し、その後は人気司会者としてフジテレビに出向しテレビ業界にも進出した。1970年に司会者として独立。1971年にスタートした『TVジョッキー』が人気番組となり、長きにわたり活躍した。続いて1979年に始まったテレビ朝日のクイズ番組、『象印クイズ ヒントでピント』は16年もの長寿番組となり、日曜夜のゴールデンタイムの顔として活躍した。1998年9月にガンの告知を受け、翌年1月18日に膵頭部ガンで死亡。没年58歳。

2003年
【死去】ザ・シーク(The Sheik/Edward George Farhat)【プロレスラー/アメリカ合衆国】

レバノン系アメリカ人の容貌を活かし、アラブ人レスラーのギミックで一世を風靡したプロレスラー。NWAで活躍後、デトロイトで「NWAビッグ・タイムレスリング」を設立し、現役レスラーながらプロモーターとしても活動を開始。その後WWWFにも参戦するなど、アラブ系レスラーのルーツとして活躍した。日本でも1972年に日本プロレスに参戦以降、大蛇や火炎攻撃等の反則を多用する"アラビアの怪人"として活躍。全日本、新日本とメジャー団体で長きにわたり活躍。晩年は甥にあたるサブゥーを伴って1991年に10年ぶりの来日を果たすなど活躍を続けたが、1988年12月11日に現役を引退。2003年1月18日に心不全で死亡したことが、かつてのタッグパートナーでもあった盟友のアブドーラ・ザ・ブッチャーにより明かされた。没年76歳。死後の2007年にWWE殿堂に迎え入れられた。

2015年
【死去】大豊泰昭(陳大豊/Ta-Feng Chen)【プロ野球選手/台湾】

学生時代から台湾を代表する選手として活躍後、1984年に名古屋商科大学に入学するために来日。卒業後に中日ドラゴンズの球団職員として1年勤務し、1988年のドラフト2位で日本人選手扱いでドラゴンズ入り。同郷のスター王貞治に倣った一本足打法の左の大砲として活躍。1994年には38本塁打107打点を挙げその年の2冠王に輝いた。した。成績を落としていた1998年に2対2の大型トレード(矢野輝弘と大豊、関川浩一と久慈照嘉)で阪神タイガースへ移籍。2000年に通算250本塁打、1000安打を放つなど活躍したが、そのシーズン後に自由契約となり、2001年からは再びドラゴンズへ。翌年現役引退となった。通算成績277本塁打1,089安打722打点、打率.266。引退後は中日のスカウトとして活動する傍ら、名古屋市に「大豊飯店」を開業。第2の人生を歩んでいた矢先の2009年3月に急性骨髄性白血病を発症。その後入退院を繰り返しているうちに店は閉店となり、2015年1月18日に死亡。没年51歳。