『1899年頃のマーティ・バーゲン』

1900年1月19日は、MLBボストン・ビーンイーターズ(現アトランタ・ブレーブス)の若手スターだったマーティ・バーゲンが、妻と二人の子供を殺し、自らの命も断った日である。
バーゲンは当時28歳でありながら、その年代では抜きん出た才能の持ち主のキャッチャーであり、座ったままでも2塁に凄まじい送球のできるプレイヤーだった。また、肉体的接触を厭わないハッスルプレーでも知られ、同業者からは一目置かれている選手でもあった。
しかしその一方で、チームメイトとの争いも絶えない問題児でもあり、1899年に長男がジフテリアによって死亡して以来は奇行が目立つようになり、“何者かに毒殺される”という妄想によりチームメイトを疑い始めた。その結果としてチーム全体がバーゲンを嫌うようになっていき、“翌年もバーゲンと契約するのなら辞めたい”とチームに言い出す選手が何人もいたほどであった。
さらに、そんな奇行を行なっていたバーゲン自身も、ごく近しい友人に「頭がおかしい」と告白しており、自ら制御できない精神状態であったのは間違いないことだった。
そして1900年の1月19日、自宅に戻ったバーゲンはまず3歳の次男の頭を斧で強襲、続いて妻の頭を形が変わるほどに殴打し惨殺、そして最期に6歳の長女の頭部を数回にわたり強打し殺害。そして自らの首を剃刀でかっきって自殺したのである。
そのこれ以上ないというほど悲惨な現場を見つけたのは、バーガーの父親であった。まだ“統合失調症”という言葉が定着する前の、悲劇である。
“有史以来最高”とも形容された究極の肉体を持つアスリートでありながら、たった28年でその人生を終えてしまうこともある——人間とは誰もが危ういバランスの上で生きていることをまざまざと見せつけた、バーゲンの人生であった。

(写真はWikipedia Marty Bergenより使用。Public Domain)

1月19日の不幸

1948年
【死去】出口王仁三郎【宗教家】出口なおとともに"まことの神"として大天主太神を祀る新宗教「大本」を創設した二大教祖のうちの一人。戦前に巨大な勢力を誇った教団を"聖師"として牽引した。国家神道を否定する教義を展開し、2度の「大本事件」で弾圧を受け、活動停止、出版物も全て発行禁止、王仁三郎1940年には治安維持法で無期懲役に。結果的に6年8カ月で釈放となり、その後は亀岡の農場で陶芸をするなどして過ごした。1946年8月に脳出血で倒れ、1948年1月19日に死亡した。没年76歳。
1969年
【自殺】ヤン・パラフ(Jan Palach)【大学生/チェコスロバキア】

1969年のソ連によるチェコスロバキア侵攻および占領に抗議して、ヴァーツラフ広場で焼身自殺したカレル大学の大学生。没年20歳。その衝撃的な抗議行動から、"「プラハの春」の英雄"と呼ばれ、いまも国民の心に残っている。

2000年
【死去】ヘディ・ラマー(Hedy Lamarr)【女優・発明家/オーストリア・アメリカ合衆国】

1930年にデビューし、1933年のチェコ映画『春の調べ』で全裸シーンを披露し世界的な話題となった女優。第二次世界大戦期には、現在のWi-FiやBluetoothにまで繋がる通信妨害を受けない周波数ホッピングシステムを開発し、その特許を取得。炭酸水を作る錠剤を作るなど、発明家としても功績を残した。女優としてはアメリカに渡りハリウッドでも活躍、1953年にアメリカに帰化した。1966年と1991年に万引で捕まるなど、精神的に不安定な部分もあった。心不全、慢性心臓弁膜症、虚血性心疾患のためフロリダ州カッセルベリーで死去。。本人の意向を反映し、その遺骨は息子によりウィーンの森に散骨された。

2007年
【死去】【薬物中毒】スコット・ビガロー(Scott Charles Bigelow)【プロレスラー/アメリカ合衆国】

ラリプのモンスター・ファクトリー出身のプロレスラー。スキンヘッドに刺青を入れたハードコアな出で立ちの巨体選手でありながら身のこなしも軽く器用な技巧派として知られ、"クラッシャー・バンバン・ビガロ"のリングネームで日本でも大活躍した。2000年7月に近所で起きた火事の際に3人の子供を救出したために体の40パーセントを火傷で負傷。しかしこの結果背中に重度の問題を抱えセミリタイア状態となった。2005年にはオートバイ事故を起こし交際していた女性を致命傷に追い込んだことも。2007年1月19日自宅で異常なまでの量のコカインで薬物中毒死しているところを発見された。没年45歳。

2013年
【死去】大鵬幸喜【大相撲力士・指導者】

ロシア革命後に樺太に亡命したウクライナ人将校マルキャン・ボリシコと日本人の母の間にハーフとして産まれ、貧しい母子家庭の幼少期から第48代横綱として大成した昭和の大横綱。歴代2位の幕内最高優勝32回、歴代4位の45連勝等、輝かしい個人記録を残し、同時代に活躍した横綱・柏戸とともに柏鵬時代と呼ばれる黄金期を築いた。また、美形力士として女性、子供から絶大な人気を誇り、"巨人・大鵬・卵焼き"という子供たちの好きなものを並べた流行語にもなった。現役引退後は大鵬親方として一代年寄りを襲名し大鵬部屋で後進の指導にあたったが、部屋の跡取りとして期待した娘婿の貴闘力が野球賭博問題で相撲界追放となったために大竜忠博が大嶽部屋として引き継いだ。1977年に脳梗塞で左半身麻痺などが残ったが、定年となる65歳まで指導者として活動。2013年に心室頻拍で72歳没。