『梶原一騎原作・川崎のぼる画『巨人の星』1巻の表紙』

1987年1月21日は、『巨人の星』を始めとした数々の国民的少年漫画を産み落としたマンガ原作者、梶原一騎が死亡した日である。
1966年に『週刊少年マガジン』誌上で連載開始した『巨人の星』の大ヒット以来、ちばてつやとの『あしたのジョー』辻なおきとの『タイガーマスク』つのだじろうとの『空手バカ一代』等、どれもアニメ化された国民的人気マンガを連発し、“スポ根マンガ”の大家として昭和期の漫画界で栄華を極めた人物であるが、その反面、武闘派の人生において、人間の影の部分のエピソードを数多く提供した人物としても知られている。
プロレス界に介入しての「アントニオ猪木監禁事件」、『空手バカ一代』で組んだ漫画家を恐喝しての「つのだじろう詫び状事件」、赤坂のホステス暴行未遂事件、さらに決定的だったのは、刑事事件に発展した1983年5月25日の週刊少年マガジン副編集長・飯島利和傷害事件である(執行猶予付きで有罪判決)。
このことにより連載も打ち切られ、著作は全般処分に、各メディアがその作品を取り上げることもなくなり、静かな晩年を送ることになった。
さらに追い打ちをかけるように1997年に当時結婚していた台湾の有名女優・白冰冰(パイピンピン)との間にできた娘・白暁燕(パイ・シャオイェン)が誘拐の上に拷問・惨殺されるという“台湾最大の誘拐事件”の被害者となっている。
梶原自身も1983年の暴行事件で2カ月の拘留直後にステーキと鰻を同時に食べて壊死性劇症膵臓炎なる、ほぼ即死と言われる病状に倒れるなど、日頃の暴飲暴食で、人一倍早くその体を蝕まれていった。
その最期は自らの人生を総決算する自伝的作品『男の星座』を連載中の1987年に死亡した。
辞世の句は「吾が命 珠の如くに慈しみ 天命尽くば 珠と砕けん」。
最期の作品が無念の未完に終わるところなどは、徹底してハッピーエンドを嫌った梶原作品そのものである。
なお、生前の不祥事から一転し、その死後、梶原作品は再び各種メディアで取り上げられることとなった。
梶原の描こうとした《人間の真実》に迫るには、決して日の当たる場所だけを歩いていられなかったともいえるだろう。“人間の闇”を知ろうとし、その闇に飲み込まれた時もあったかもしれないが、梶原の人生が間違っていたと言い難いことは、その不屈の作品たちが証明している。

(画像は梶原一騎原作・川崎のぼる画『巨人の星』1巻 1968年/講談社刊)

1月21日の不幸

1年
準備中
1950年
【死去】ジョージ・オーウェル(George Orwell)【小説家/イギリス】ジャーナリストから1945年の『動物農場』で作家に転身し、大ベストセラー作家に。結核に罹り、スコットランドのジュラ島の農場に引きこもりながら書き上げた問題作『1984年』では、全体主義的ディストピアという現在に繋がるテーマを書き上げ、いまも世界各国で評価されている。その後ロンドンに移り50歳で死亡。
1987年
【死去】梶原一騎【漫画原作者・小説家】(つづきから)さらに1997年には当時結婚していた台湾の有名女優・白冰冰(パイピンピン)との間にできた娘・白暁燕(パイ・シャオイェン)が誘拐の上に拷問・惨殺されるという"台湾最大の誘拐事件"の被害者となっている。梶原自身も1983年に壊死性劇症膵臓炎倒れるなど、日頃の暴飲暴食で人一倍早くその体を蝕まれていき、『男の星座』連載中の1987年に死亡。没年50歳。辞世の句は「吾が命 珠の如くに慈しみ 天命尽くば 珠と砕けん」。
1987年
【死去】梶原一騎【漫画原作者・小説家】1966年に『週刊少年マガジン』での連載『巨人の星』が大ヒット。以来、『あしたのジョー』『タイガーマスク』『空手バカ一代』等、どれもアニメ化された国民的人気マンガを連発し、"スポ根マンガ"の大家として昭和期の漫画界で栄華を極めたマンガ原作者。その反面、「アントニオ猪木監禁事件」、「つのだじろう詫び状事件」、赤坂のホステス暴行未遂事件、「週刊少年マガジン副編集長・飯島利和傷害事件」と不祥事の連発で仕事を失い、静かな晩年を送ることになった。(つづく)
1996年
【死去】横山やすし【漫才師】(つづきから)1989年3月に再び芸能活動再開するも、3日後に飲酒運転での交通事故を起こし、事務所から解雇処分に。晩年は映画出演や参議院選出馬(落選)等、時折話題になる程度の活動であった。1996年1月21日の夜に自宅で寝たまま意識不明になり死亡。死因はアルコール性肝硬変で没年51歳。最期の言葉は「明日病院にいくわ」だった。
1996年
【死去】横山やすし【漫才師】横山ノックに弟子入りし、西川きよしとの「やすしきよし」で一世を風靡した昭和の上方漫才界の巨星。ヤクザ張りの大阪弁とキレのある動きで、時にはマイクから離れて展開する独特のドツキ漫才="やすきよ漫才"で全国的な人気を獲得したが、タクシー運転手への暴行事件や、ドタキャンによる所属事務所からの無期限謹慎処分、息子の木村一八のタクシー運転手傷害事件など、参議院議員となった相方の西川とは180度違う奔放な私生活で仕事を失っていった。(つづく)
2007年
【自殺】U;Nee【歌手・女優/韓国】子役から女優として活動し、2003年には『U;Nee Code』で歌手デビュー。セクシー路線で2006年以降は度々来日しパフォーマンスを見せた。2007年1月21日に仁川広域市にある自宅で首吊り自殺しているところを祖母が発見。25歳没。ネットでの整形疑惑や中傷を苦にしての鬱病に苛まれていたといわれている。
2008年
【死去】加藤博一【プロ野球選手・解説者】西鉄ライオンズ、阪神タイガース、大洋ホエールズで活躍した俊足巧打の外野手。大洋時代には同じく俊足の屋鋪要、高木豊との"スーパーカートリオ"で人気を博した。引退後もその軽妙なトークを買われ『プロ野球ニュース』等で解説者として活躍したが、2006年に肺ガンと診断され、翌年2月には左肺を摘出。その後も活動を続けたが、左足大腿骨にガンが転移し、2008年1月21日に死亡した。没年56歳。